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評価:
奥田 健次
集英社
¥ 777
(2012-11-16)
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この本と、
このブログ、
チワワ★トイプー★ドーベルマンの年功序列ケルベロスw
http://ameblo.jp/mutual-bond/
がお気に入りで、最近良く読みます。
行動分析学が面白いなあ〜と思うのは、
「行動」だけを抽出する事。
淡々と、私情を交えない^^
私の「性格分析」も、そうなんですけどね。
例えば「外向型」か否かを判断する時には、
外向的な行動パターンと、内向的な行動パターンがあって、
そのパターンのどちらをより多くするか…という分析をする。
私情を交えずに、行動パターンを観察出来ないと分析は正確に出来ない。
どうも、行動分析学と、その他の心理学…と括ると大雑把すぎるのかな?
専門家同士はどうも立ち位置が正反対なせいか、対立しているのかな?と感じますが。
私は「機能」について読むうちに「同じ」だなあ〜って思ってしまいました。
この本のp126
私自身を分析する時に「抽出」しているモノが、
この表、そのものでした。
自分がなぜそんな行動をしたのだろうか?
自分の心の中にあったのは何だったのだろうか?
…そんな事を分析するのですが、
「内観法」というのに近いのかな?とか思うのですが、
その時に抽出するのは、けして「アタシの性格ってダメだな」というような事ではないんです。
この本での「ペン回し」。
同じペン回しをしていても、
その「目的」は全く違う。
「機能」が違う。
見るべきは「ペン回し」ではなく、
ペン回しの「機能」。
これが抽出出来るとそれだけで心がホッと安定する。
たとえ、不安な落ち着かない気持ちで、その不安な気持ちを、紛らわせる為にペンを回していたとしても、
「ああ、不安な気持ちでやっていたのか」と分かれば、
それだけで人の心というのは安定する。
「不安な気持ちの自分」を「受容」出来るから。
内観法の強味は、受容を他者に求めない事。
他者は受容してくれるかどうか分からない。
評価に怯える人は、他者からの受容を強く求めてしまうけれど、
実は、どんなに他者から受容されても、
最終的に自分で自分を受容できなくては本当の満足は得られない。
どこかで受容されていない自分に怯えてしまう。
しかし、自分で自分を受容するというのはそんなに難しい事ではない。
このような細かい行動の一つづつを「あ、そうだったのか」と理解するだけで可能なのだ。
他人に受容してもらうより、本当はずっと簡単なのだ。
しかし、評価に怯える人は、
「不安な自分ではダメなのではないか?」と考え過ぎてしまう。
「不安な自分」…という「人格問題」に突入してしまうのだ。
「不安な行動」だけで留めていいのだ。
そういう行動をしてしまう自分は…「人間だもの」で笑って保留でいいのだ。
行動分析学の優しいところは、
安易に「人格問題」に突入しない所だと思う。
「行動」を分析して、不都合があるなら、ちょっと変えてみようか、というレベルの事だ。
行動分析学の専門家は「アナタの性格がそうだから…」なんては言わない。
これが面白いなあ〜と思う。
性格分析をずっと活用してきた私が言うのも変だが、
性格分析だって、人格問題に立ち入る必要はないのだ。
上手に書けないけど、行動分析学、面白いよ^^