まっちゃんママさんのコメントにお返事書こうと思っていたのですが…
考えいることが、ぼわわ〜っと膨らんで…
コメント欄へのお返事ではないけれど…書いてみようと思います。
何から書いたらいいのかな〜
イギリスの「犬の環境」。
公園や街のつくりや、その利用の仕方。。。
日本人って…って書き出すと決めつけになってしまうのですが…
でもね、なんかそういう「空気」があるから、
海外から帰国した人が、日本との違いを言うことが憚られてしまうんだと思う。
何だろうね、西洋の文化への劣等感なんでしょうかね。
何かジンワリとそれを感じているのだけれど、
「外国の方が良い」って聞くと「外国かぶれだ」って反発したくなる。
海外で暮らして母国との違いに驚いた人は、
単純に「違い」を述べているだけなんだけど、
それは忽ち「海外かぶれ」の日本人の「批判」と受け取られてしまうこともある。
そういう風に批判する人もあるかもしれない。
でも、単純に「違い」を述べているだけの人もある。
ただ「日本人」であることに無意識の劣等感を持っている人は、
「違い」にすら敏感に反応してしまう。
発信者の情報の問題ではなく、受信者の心の問題だと思う。
しかし、日本人のエトスには劣等感を抱きやすい文化?習慣?があるのかもしれないと思う。
それはね「謙譲」ということ。
「尊敬」は日本人でなくても分かり易いと思う。
それは、やっぱりどこの国でもある。
でも「謙譲」って…あんまりないよね。
自分を落とすことに寄って、相手を持ち上げる手法。
「へり下り」
「へり下っておけば、とりあえず無難」っていう習慣があると思う。
謙遜もそうかな。
だから、本当はそんなに「下」だとは本心では思っていないんだけど、
とりあえず、相手を持ち上げるために「ウチは全然ダメで」なんて言う。
でも、だからと言って相手が「本当にダメよね」なんて共感しまくりで肯定したら忽ち「ムっ」とする。
だって、本当はそうは思っていなくて「そんなことないですよ〜」と言ってもらうのが前提だから。
私もね、レオはダメで…って口癖だった
(だった…と思いたい^^;先日「天の邪鬼」が久しぶりに出たらしいorz)
自分で自分を謙遜して貶めるのは、自分の勝手だけど、
自分の「所有物」も勝手に貶めちゃうんだよね。
でも、レオはレオで私は私なのに、
勝手に貶めるということは「所有物」という意識があるってこと。
これは犬だけでなく、子供や家族にも該当するけど…
自分じゃない人を勝手に謙遜しちゃダメだね。
勝手に謙遜された人(犬)はマジ傷つくからね。
犬は子供は親が他人に向かって「このコはダメで」というのをちゃんと聞いている。
そして「自分はダメなのだ」と思って自信を失う。
自信が無いからいろんな行動がおかしなことになる。
そこを叱責されると「どうせ私はダメなんだ」とイジケる。
そんな悪循環が待っている。
なぜ、日本人は尊敬では足りなくて謙譲(謙遜)までしちゃうのか?
「私は、とてもアナタの足元にも及ばない力の無いものですから、どうぞ虐めないで」ということですよね。
これが「謙遜」であって「本気」ではないことを理解して付き合える関係ならば良いですが。。。
そうでない場合は…時には過剰な謙遜が相手を苛つかせ、「イジメ」に発展する場合もある。
なぜ、過剰な謙遜が相手を苛つかせるのだろう?
やはり「謙遜」しているだけであって「本気」じゃないから、本気で向かい合っている相手からするとこんなに鬱陶しい嘘はないだろうな。
「本気出せよ!」「オレが嫌いなら嫌いでケンカしようぜ!」ってことなのかもしれない。
しかし「イジメ」に発展していく場合は、相手の弱さを突く事自体が楽しくなってしまうのかもしれない。とても残酷な精神だ。
支配性というのは、そういう残酷な心によって支えられているのだ。
支配したい…という欲求は、命の安寧の為に否定出来ないのかもしれない。
しかし、それが他者を傷つけることにならないように自制するのが「人間」だ。
人間らしく生きるために「支配欲」と戦い続けなければいけない。
今日、梅ちゃん先生で、梅ちゃんが余計な事を言ったんだなあ。。。
でも、これはドラマだから、あとで「感謝」されることになるから大丈夫なんだけど。
実生活では難しいね。
なぜ、梅ちゃんは失敗したのか。
「外的コントロール」だったからなんだね。
「病院に戻って治療を続けてもらいたい」という梅ちゃんの願いがあって、
でも、頑なに「私はもう直らなくていいから自宅で過ごしたい」という患者。
ここに踏み込むために梅ちゃんは、絶縁状態にある患者の娘さんの存在をちらつかせる。
「娘さんに会いたい」という気持ちが起れば「生きる希望」が芽生え、治療に復帰してくれるかもしれない…という善意。
一見ね、梅ちゃんには何の見返りも無いこと、患者の命を思っての好意の行為なんだけど…
静かに忘れようと蓋をしていた事柄にザックリと触れてしまって、ベテラン看護婦さんに「それは、無麻酔でメスでザックリと切るようなものです」と言われてしまう。
そういえば、前の朝ドラにもこんな場面があった。
「アンタの強さは毒や!」って言われてたな。。。
でも、梅ちゃん先生は重いドラマじゃないから、来週には娘さんにあってメデタシメデタシになると思うけどね。
梅ちゃんのこの「ザックリ」は相手の為に相手を思って自分には何の見返りも無いのにした「善意」に見えるけれど、ダメなのは「外的コントロール」だから。
善意のフリして、相手を自分の思う行動をさせたい…という外的コントロールなの。
だから、これは善意ではなく、偽善。
偽善を勘違いしている人の中には、
「自分を滅して相手の為に…」を尊いと思って、自分こそ真の善を知るものだ…なんて人もあるんだろうけれど、相手の行動をコントロールしたいが根底にある「善意」は、全く善ではない。
互いの関係の中で、対等な情報のヤリトリがあって、それを取捨選択をするのは「相手」だ。
もし、自分の情報が採用されれば嬉しいけれど、採用されなくてもそれはそれで仕方が無い。ただそれだけのこと。
そういう意味で私は個人主義は健康的だと思う。
外的コントロールを偽善で行う人は「相手の為に心を鬼にして、ちょっと言われると辛いことも私がいってあげなければ」なんて言う人もいる。
これが一番イケナイお節介。
ドラマだと梅ちゃん先生みたいに後になってめでたしめでたしになるけど、
現実には「心を鬼にしたアドバイス」が聞き入れられるのは「絆」が無ければ無理だ。
それも、その絆すら、その一言で失ってしまうかもしれない。
「心を鬼にして」何かを言ってはイケナイ(=アブナイ)。
ではどうするのか?
「言いたいことをタンタンと言えば良い」のだ。
梅ちゃんの彼氏の松岡は自他共に認める「変人」だ。
彼は、人が憚って口に出来ないことをあっさりと言ってしまう。
しかし、意外にも彼の言動は人を傷つけない。
それはなぜなのか?
彼に相手をコントロールしようという意図が無いからだ。
単純に自分が思ったことを言うだけだ。
時に失礼であり、不躾であり、面倒だったりするけれど、
だから、相手を怒らせることはあるけれど、傷つけることは無い。
相手が怒ってしまって、意味が分からず松岡が傷つく、とうことは多々ある。
人は、人からの「外的コントロール」を敏感に感じ取る。
傍目には見えなくても、
向き合った二人の間には、相手の「コントロール」「支配性」は確実に伝わる。
邪気だからかな。。。
あああ…話が流転しているorz
無理に結論づけずにおこうと思います。