「暗黙知」という言葉、私は、しおやまさんに最初に教えていただいたのですが、最近よく聞くようになりました。
最近、インターネットの仕事をするようになりました。
こうして、自分のブログに文字を入力するだけなら良いのですが、仕事となると緊張します。いいえ、それ以上にあまりにも難しくて閉口しています。
いえ「難しい」というのは適切ではありません。
作業自体は慣れると単純であることが分かります。
しかし、操作の方法をクライアントから教えてもらった時、チンプンカンプンでした。クライアントも説明しながら、そう思うのか「とりあえずいじってみて下さい…」というようなことで始まったのでした。(寛容でありがたいです)
なぜ、一見単純と思える作業がこうも伝わり難いのか…。
まず、操作すべきパソコンのアチコチをどう行き来するか…ここで戸惑うのですが、説明してくれるクライアントの「頭の中」には「サイトの地図」があるようです。するすると次に開くべき場所をクリックしていきます。
私にはそれがどこから湧いてきたのかすら分かりません。
まるで、盲目で迷路を彷徨っているようです。
「『サイトマップ』を見ればいいじゃないか」という方もあるかもしれませんが、サイトマップは案外とこういった作業にとって実用的でない気がします。
私が今書いているこのブログの操作の仕方を私は知っています。「頭の中に地図」があります。しかし、口頭で操作方法を伝えるのはとても難しい…。
暗黙知と、こういうトコロが似ている気がするのです。
ただパソコンを使うことによって、「頭の中の地図」は共有されていくように思うのです。
これが運動神経にかかわることだと、相手の動きを見たり、感覚的な話をして「きっと同じ感覚だね」と確認することは出来ると思うのですが、共有は出来ないと思います。
でもパソコンを使うと、パソコンを媒介して脳みそが共有されるような気がします。
子供の頃からパソコンに慣れ親しんだ人々は、パソコンがどういうものなのか、説明しなくてもわかっているようです。駅の券売機など、私にはとても難しくなりました。しかし、若い世代にはなんの問題もないようです。
あの操作方法とゲームはソックリだと思います。直接パソコンはいじっていなくてもゲームをすることで、パソコン界のルールを頭ではなく、身体で覚えていくような気がします。
パソコンって作った人の脳の使い方に準じているのではないか、と思います。
だから、違う方法で脳みそを使ってきた人にとってはとても違和感があるのではないでしょうか。他人様の脳みそを使って作業したりする…だから、なぜ、あれはココにないのだ?なぜ、ココをこうするとああなるのか、どうも納得出来ない、ということがあるのではないか。
考え方をパソコンに合わせれば解決は早いと思うのですが、皆が同じ脳みその使い方をするようになったら、ちょっと怖いな…なんて思ったりもします。
どうも、道具としてパソコンを使っているのではなくて、パソコンに脳みそを矯正されているような気がして。。。
まあ、私が勝手にそんな気がする…というだけのことなのですが。