点と点が繋がった、と友人が嬉しそうに報告してくれました。
単純にその言葉について私はちょっと引っかかりました。
これまでは素直に良かったと思ったであろうその言葉を聞いて、この時思ったのは「占い中毒」のことでした。
占い中毒…有料の占いサイトや電話占いなどに相当なお金を払っている人…で良いかな。
「こんなことではイケナイ。お金もかけすぎだし、占いに頼らずに」と思うそうなのですが「ヤメラレナイ」。
なぜヤメラレナイのか。。。
私は、自分の進むべき道を決められないから、誰か(占い師)に言ってもらいたくて、毎日利用するから多額になるのかしら?と思っていました。
しかし、テレビで取材された方は「自分の欲しい答があるのです。それを言ってくれる占い師さんを求めて、その答を言ってくれるまで、占い師さんをハシゴする」のだそうです。
そういうことだったのか…と。
「言ってもらいたい答」が、その方の「点と点」をつなげる「モノ」だったのであろうと思います。
さて、とすると「点と点…」ですが、
果たして、それは繋がったのか?繋げたのか??
などと思ってしまったのです。
そうですね、これは以前に書いた「良いこと」「正しいこと」を積み上げていこうとする、というのと同じことですね。
誰が仏教を拝むものにしてしまったのか。。。
点と点を繋げて、その経過に説得力があれば、それが「正しい」ことになる。
オウムが「切り張りの宗教」と批判されたけれど、結構メジャーな宗教も切り張りだなあ…と思ったり。
オウムを肯定する意図は全くありません。
信仰のためなら殺人をしても良い、というのはどこをどう切り貼っても、説得力はありません。
しかし、そんなニュアンスはメジャーな宗教にもあるのが実態。。。
だから、戦争はなくならない。。。
コロンブスの卵は、あれで卵を立てたことになるのか?
壊しただけではないのか?
それが柔軟な発想というものなのか?
しかし、確かに立った卵に説得力があったのだろう。
でも、卵は壊れちゃってるのに…。
というのは、子供の頃に父から「コロンブスの卵」の話を聞いた時から、ちょっと心の中にあった疑問。
単純に私の頭が固いのか。。。
アメリカへの最初の移民は北部の海岸に辿り付いた。
つまり今でも人が凍死するという、ニューヨークの冬。
移民の人々は冬を越えられそうになかった。
そこへ、ポップコーンと火をもって訪問したのはインディアン。
移民はインディアンから貰ったポップコーン(など)で、最初の厳しい冬を乗り切った…。
と『大草原の小さな家』に書いてありました。
なのに、敬虔なクリスチャンたちは、なぜ、大陸を我が物として、占領してしまったの?
子供の頃よく見た西部劇では、白人が必ず「インディアンは頭の皮を剥ぐ」と恐れる場面がありました。
でも、そもそもは白人(騎兵隊?)がインディアンを殺した人数を報告する為に、耳やら鼻やら頭の皮やら(遺体ごとは持って歩けないから)を剥いで、持ち去った。
インディアンに、そういう発想はそもそも無かった。それをするようになったのは、報復だった。。。
どの点とどの点を繋ぐと「戦争」して良いことになってしまうのだろう。。。