おくりびと [DVD]
↑映画
↓原作本
納棺夫日記 (文春文庫)
青木 新門
私は、この映画観てないのですが、見たいですね。
上映館がまだまだ増えているそうなので、水曜日(レディースデーで、女性のみ千円!)に空いた頃行きたいなあ〜と思っているのですが。
原作も読んでみたいですね。
三千のご遺体と出会ったとか。。。
本木雅弘さんの所作が美しいですね、という言葉に対して、原作の青木新門さんが「マネキンや役者さんで練習してもこればっかりは分からないのです。本木さんはこっそりと助手ということで、実際に現場に立っていました」とのことでした。
表面的な所作せはなく、ご遺体への畏敬の念…というのでしょうか、そういうことだそうです。
日本人は死を不浄ととらえる、というような言葉を聞き、おや?と思いました。確かに、恐ろしさなどとともに、お葬式から帰るとお清めのお塩を使ったりしていますが。
しかし、私などの感覚の中には「不浄」とか「穢れ」というのは既にないようです。「死」への恐怖が、意味不明に死が伝染する…というような感覚になったのかもしれませんね。
http://www.sokei.jp/angel-make_archive/post.html
とはいえ、正直言って、よく知っている人でも遺体といのは、やはりなんだか恐ろしいですが。
ただ、それは、やはり「体だけの抜け殻」になってしまっていて、姿かたちは確かに良く知っている人なのに、全く違う、異質なものになってしまっているからでしょうね。
私は、5年ほどの老人ホームでの勤務で、200人位の方とのお別れがあったように思います。
でも、私の勤務先は病院が併設されていたので、最期は病院という場合が多かったです。
一度、ホームのお仏間へ戻って来られて、それからご自宅へ帰られます。
だから、納棺まで見届けることはほとんどありませんでした。
むしろ、帰るご自宅の無い方だけは、お葬式まですべてホームでしたが。。。
死後の処置…というのでしょうか。
一度だけやらせていただいたことがあります。
病院で看護婦さんがするのですが、ご家族で一緒にされる方もあったりしたと思います。
とても好きなおじいさんだったので、悲しいけど、最後のお世話が出来ることがうれしかったです。
いつも面会にいらっしゃる奥様と三人でよくおしゃべりしました。
看護婦さんと二人で、いつものように「○○さん」と話し掛けながら体を拭いたりしました。
最後に死装束に着替えて。。。
この装束は、ホームのおばあさんたちが縫ったりしたものです。
暖かいと思いました。
口紅がちょっと赤すぎました。それを見て奥様が「キレイにしていただいて良かったじゃないの」と、二人でちょっと泣き笑いになり。。。
私たちの日常に「死」はとても遠く、私の体験はちょっと特殊な気がします。
でも、私の体験が特殊となっている、現代がおかしいのではないか?
日常に「生」と「死」が身近にないことの方がおかしいのではないか?と思うのです。
「生」も「死」も当たり前のことなのに、
死生観が違ってしまうのではないか?
もっと言えば、生き方、現在進行形で生きている「今」は、「生」と「死」によって明確にされるハズで、それが見えないから、生きることが不安になるのではないか?
そんな気がします。