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評価:
ジャン フェネル
ぶんか社
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(2006-01)
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アミシアンボンディングって…よく分からない…と思いつつ…
http://mwcrew.blog13.fc2.com/blog-entry-119.html
http://mwcrew.blog13.fc2.com/blog-entry-148.html
たまさん。
http://msmacchan.blog104.fc2.com/blog-entry-286.html
まっちゃんママさん。
実践されていて、どこか頭の隅にはありました。
でも、私は本を読んでいないので。。。
で、ある日、閃きました。
これは70年代のオトナたちだ!と。
昭和の大人は、子供が何か言うとよく「大人は大人。子供は子供」
「大人になったら、コーヒー飲んでもいいよ」とか。
子供がどんなに大人と同じものを欲しがっても、
「子供には毒」というものは絶対くれなかった。
「わがまま」とか「口答え」とか「屁理屈」も許されなかった。
一見すると厳しいようだけど、
これは大人が子供を守るための義務でもある。
子供が危険な状況にならないように、
大人が子供の行動を制限するのだ。
自由と好き放題は違う。
子供の人格・人権を守ることと、好き放題にさせることは違う。
子供を守るために大人が盾とならなければいけない場面がある。
子供からすると大人の横暴に思える(私も思っていた)けれど、
こうして大人になってみると、いかに「守られていたか」と思う。
コーヒーは子供には毒、とか、
高過ぎるところに登っていると、
「すぐに降りろ!」とか。こういう時は、ちゃんと降りるまで見ていてくれたりする。
子供の時は見張られているのかと思ったけれど、
これは落ちないで降りられるか見ていたくれたんだな〜と思う。
高価なもの、危険なモノは触ることはおろか、近づくのも許されない。
女の子は化粧に関心を持つ時期があるけれど、
それもほとんどは許されなかった。
子供として着飾ることはあっても、
今の子供のような、大人顔負けの化粧とファッションはアリエナイ。
これは、性犯罪の対象とならない為に有効であったのだ、と思う。
かなり、脱線しますが……
普段は紳士と思える男性と地下鉄に乗っている時…
空席もある空いた車内。
セクシーはファッションの、でもいかにも小学生の女の子が一人で角に座っていた。
すると、中年の男性が他にも空いているのに、その隣に密着して座る。
カバンの影から触っているように見える。
女の子は動かない、動けない…のか。
私が同行の男性に「触っているのでは?」と言うと、
彼は「あんな格好しているのが悪いのだ」と言いました。
私は、あの時、女の子を助けてあげられなかった。
同行の男性と意見を異にしても、行動すべきだった。
そのことを後悔しています。
あの場から彼女を動かすことが、私には出来たと思う。
そして「そんな格好をしては危ないよ」と言うことも出来たと思う。
それは大人女の勤めだったのだと思う。
私が、危険な服装に走りそうになった時、
止めてくれた周囲の大人に感謝しています。
おしゃれはおしゃれ、自分で対応できるようになったら、
ボディコンでもグラドルなんでもすれば良い。
その意味も分からない子供は大人が守らなければ…!
この「大人と子供のしていいことの違い」は、
なんだか、カラダで覚えてしまっているので、
その場面に出会うと、選ぶべきはコッチ、と分かるのですが…
なかなか挙げるのは難しいですね。
例えば…
正月に実家に帰った時に、レオが母の指定席に座りました。
それを、母が座りたくなったら「レオちゃんごめんね」と言いつつも、
レオをどかして自分が座る。
そんな母の対応、チャーリーママさんには褒めていただきました。
これは、支配性理論に振り回される人は、
指定席をとられるということは下位に見られているとかなんとかなるところでしょうが、
レオは、そんなに重大な気持ちでいる訳じゃないと思います。
ただ、ここが心地良かったから。
そして、どいてと言われれば諦める。空いていれば座る。
言われないコは、好き放題がまかり通ると学習を重ねるだけのことでしょう。
レオの食事は午後のお散歩の後です。
散歩の前だと吐く事があるし、午前中は食欲もほとんど無い。
でも、私は食べるワケです。
その時、レオを無視するのはごく自然なことでした。
私が食べるものと、レオが食べるものは違うから、
食べられるモノをあげる時もあるけど、あげないものはあげない。
レオのカラダに毒だから。
だから、レオは私が午前中に食事をしていても、
ほとんど関心を示しません。
私も気付いたら当たり前にしていたので、
レオが可哀想とか、レオにも何かあげようとか、
そういうことは全く考えませんでした。
これが結果としてアミシアンボンディングになっていたように思います。
つまり、私は犬の支配性理論は完全否定ですが、
レオの好き放題にはさせなかった。
リーダーシップは発揮したということですよね。
でも、それは、犬が狼の子孫で、狼の群れのように…
というパックリーダー論ではないし、
軍隊式の力によるリーダーでもない。
大人から私が守ってもらっていた時にされていたこと、
それを私が守る側になった時にしただけのことでした。
しかし、今は、昭和はもう古い。。。
私の後の時代の人は、
子供時代に「好き放題=自由」という生き方をしてきてしまった、
もしくは、させられたように感じます。
だから、そういう世代の人には、
私に言うことは、分からないのだろうな〜という気がします。
だって「口答え」とか「屁理屈」っていう言葉自体が、
そもそも「死語」じゃないですか?
だから、犬をコントロールすることが「可哀想」に感じるのかもしれない。
自分が好き放題にしてきたらか、犬も好き放題にさせてあげたい…
でも、それだと、犬は不安定になります。
なんでも自由なのは楽しいのか?
自立していて、判断がつく個体は良いでしょうが、
犬は人間からは自立していない。そこが狼と完全に違うところで、
人間と暮らす限り「子供」なのだ。
自分で捌ききれない自由は、子供も犬も不安定にする。
しかし、犬や子供と向かい合う時、
どこで線を引いて良いのか見当もつかない人もある。
ここが難しい。
今度は一生懸命にコントロールしようとし過ぎる。
単純に厳しければ厳しいほど、良いしつけのような気がするのだと思う。
なんでも塩梅とか匙加減が大事なのに、
洗剤は多ければ多いほど、汚れがよく落ちる…というような感覚になりがちだ。。。
だから、行き過ぎたコントロールが体罰なのか、
虐待なのかも分からなくなるのかもしれない。
犬は犬、人間は人間、子供は子供、大人は大人…
アミシアンボンディングは、その方法を教えてくれるものなのかな?
読んでないので^^;なんとも言えませんが、
そんなことを感じました。
そうそう、ブログ村のポメラニアンの登録サイトは900件くらいあるのに、
ドッグアクチュアリークラブには6件しかない。
私も登録していませんが…あまりにも多犬種と比率が違いすぎる。
ポメ飼いさんたちは、あまりドッグアクチュアリーは読まないらしい。
でも、まあ、読まない方が良い記事もあるけれど…
蛇足で、リーダー論も。。。
↓こちらは、京子アルシャーさんの記事。
「オスであるということ」
http://dogactually.nifty.com/blog/2011/02/post-40.html?page=2
======引用いたします========
オスの持つ縄張り侵入者への厳しさと反応の強さは、これもメスへのアピールのうちで、自分の縄張りに近づいてきた侵入者に対しオスが吠えると、メスはそれを見て(聞いて)「いい仕事してイカすわね」となるのだそうだ。かといって犬の吠えの意味にはいろいろあるからオスだけが吠えるということではなく、個人的にはむしろ犬の心理の動きとしてただ面白いと思う。
======引用おわり========
↓こちら史嶋桂さんの記事。
「ジャックラッセルテリア飼育奮闘記 (14) - 警戒吠え対策」
http://dogactually.nifty.com/blog/2009/12/14---3687.html
======引用いたします========
警戒吠えは弱い犬ほどやる
警戒吠えが犬による騒音と見なされる事があるのは、犬にとって飼い主や同居の家族が頼りにならないと見限られてしまっている時です。この場合、犬は衝動的な恐怖を解消するために、招集の吠え声を上げているわけですが、いくら吠えても、自分の恐怖を払拭してくれる頼りになる存在が現れてくれないので、たとえ飼い主がそばにいたとしても、吠えやむ事が出来なくなってしまうのです。
(中略)
反対に、毎日の散歩や訓練を通じて、犬が飼い主を頼りになる存在と見なしている時、警戒吠えは番犬としての勤めを犬が果たしているだけなので、あまり問題にする必要はありません。
======引用おわり========
さてさて…私にはどうもこの二つの記事は矛盾しているように感じるのですが。。。
私の感覚だと、レオが女子へのアピールの為に得意になって吠えている感じと言われれば、
とても納得します。グループ(その場にいる顔なじみ犬)の中に、
妙なテンションが発生すると吠えます。
張り切ってオスの仕事をした!という「エッヘン」感があります。
史嶋さんのお話だと、飼主さんをリーダーとしてみていも「番犬として」吠えるわけで…結局、警戒吠えするんだよね。。。
すいませんね、私、支配性理論から抜けられない人が嫌いなんだよね^^;
=========11.03.01追記します
これだけだと、昭和の子供達は「子供だからダメ」と、
言われることばかりな感じがしちゃいますよね。
違うんです。
「子供だからダメ」と同じ位「子供だからいいよ」もあったんです。
思いきり騒いだり、走ったり、泥んこになったり、ケンカしたり…etc
そういう「子供だから許されること」も一杯あった。
だから、犬にも「犬だから許される」ことがあるハズ。
というか、それが無くて「犬だからダメ」ばかりで、
「良いコ」を目指した強制訓練だけされたら、心が壊れるのは当然。
思いっきり遊んで暴れて、
間違えちゃったら、飼主さんから「ほめ殺し」になる位褒められて、
そうしたら、オリンピックを目指せる位、思いがけない才能が伸びるかもしれない。
子供も犬もそうなんじゃないのかな。。。