これって、オニケシ?オニゲシ? ??
なんか、あまりにも毒々しく撮れてしまって^^;
でも、昨日あたりのニュースを見ていたら、
ハカマオニケシという栽培してはイケナイ芥子と、
よく似ている栽培して良いオニケシがテレビで映っていて、
そういえば、あの時撮った写真の花ににているな〜って思いまして。。。
さて、ストレス発散!
…まとまらない話しです。
とりあえず書く…ことで私のストレス発散……なのか???^^;
よく、カラオケとかお祭りで大騒ぎをしてストレス発散!なんて言いますけど……
私は、あれにはちょっと否定的なんです。
確かに何かがスッキリしたような気がする…のかもしれないけれど…
そこがちょっと曲者というか…
そもそも「堪忍袋の緒」…みたいに、何かを溜め込む…という発想が違うんだろうな。
「感情」には波があって、それを抑え込むと爆発する…みたいな発想が違う気がする。
「感情」を大きく揺らし過ぎることがそもそもの問題。
「感情」が悪いのではない。
情緒豊かなことと、ヒステリックなことは違う。
コントロールのつかない感情の爆発がヒステリー。。。
これを気づかせてくれたのは『赤毛のアン』のマリラ。
子供の私にとって、マリラは感情を抑え込んだ厳しい人のように思えた。
でも、マリラは別に感情を抑え込んでなんかいない。
「やれやれ」と、言っても仕方のないことには口を噤むけれど。
感情を抑え込んで後で爆発するような人ではない。
そのマリラがアンの過剰な感情の波に脅威を感じる。
「このままでは、あの子が傷つくことになる」と。
近所の人はアンの想像力の豊かさを賛美していたし、
それが高じて癇癪(ヒステリー)を起したりして、
それをマリラは心配したのだけれど…。
アンは、グリーンゲーブルズで、
情緒豊かなまま、感情の大きな波に揺れない穏やかな女性に育っていく。
感情が豊かなこと=ヒステリーにはならないのだ。
感情の波が激しすぎて自分でコントロールできず、
発散と称して大騒ぎをする必要があると考えている人もあるし、
感情は豊かだけれど、穏やかに日々を過ごす人もある。
私のヒステリーは感情が豊かだからなのよ!……という言い訳は効かない。。。
そして、ヒステリーが厄介なのは、
一度達した高い興奮状態は、次には簡単にそこに届いて越えてしまうということ。
ヒステリーは止めないとどんどんエスカレートする。
さて、犬の話し。
犬の興奮。
コレがイケナイということ、最初は本当に分からなかった。
しかし、喜びと興奮は違うことを知った。
お散歩仲間さんとも、
互いの犬が興奮しているのを皆で観察し
「興奮している犬ほど、より興奮している犬を恐れるね」
なんて話したりしている。
レオは犬や人にはあまり興奮しないようだけれど、
(あくまでも、あまり…^^;)
鳩や猫には大興奮してしまう。
見ると追わずにいられない。
他にもこういうコは結構いて、
「鳩を追いかけるのが大好きなの。
猟犬種(トイプーやミニチュアダックス)だから仕方ないわね」なんて聞いたりする。
私はレオと同じなのではないか?なんて思う。
「追うのが好き」ではないように思う。
レオは確かに興奮する。
しかし、キチンとインターセプトして歩くようにしてからは、
鳩を大分近い距離でもやり過ごせるようになった。
擬人化して表現するならば、
「アイツ気に入らねえんだよ、
クルッポクルッポ言いやがって!
一度、ギャフンって言わせてやる!!」
みたいな興奮のような気がする。
道を歩いていて、すれ違うだけなのに、
妙にイライラしている人がいる。
もう、周囲の人間全てが敵!みたいにイライラしている人。。。
レオの鳩への興奮ってそんな感じがする。
だから、追わせるということは、
イライラしてすれ違う人にぶつかって歩くことを許すことのような…
そんな事じゃないのかな?
それで、スッキリすればいいけど(良くは無いけど^^;)
そんな毎日を過ごしていたら、増々イライラは募るばかりだと思う。
エスカレートするヒステリー。
他人に悪意しか感じなくなっている原因は自分にあるのだから。
人の言葉や行動が胸にチクリと刺さるということは、
原因は自分の中にある。
だって、誰もが同じ言葉で刺さらないですから。
で…レオは、どうしたら刺さらなくなるのかな…
なんて考えると難しくなり過ぎる。
人間風の心理学を持って来ると混乱する。
答が出るならいいけど「翻訳コンニャク」でもないと無理だよね^^;
だから、レオが「笑っている」「リラックスしている」のが正解なので、
「鳩は追わせない」が正解、だと思う。
…というのが行動分析学を使った考え方かな、と思います。
「イラ」っとくる「種」は自分の中にある。
それが相手からの言葉とかに「反応」しちゃうんだよね。
アレルギーみたいに。
だから、アレルゲンを持っていない人は、
同じことを言われても何とも感じなかったりする。
相手を黙らせる方法を画策するよりも、
自分のアレルゲン対策をした方が有効……というか、
むしろ、アレルゲンを指摘してくれた相手に感謝してもいいかもしれない。
私は未だに「吠えクセがついちゃたのね」が刺さってる。
その時、私の心の中で起った反応は…
「私がレオに吠えクセがつくような何かしたというの?」
「犬は吠えちゃイケナイの?」
「私が、レオの吠えに対して何もしていないというの?」
「こんなにがんばっているのに!」
「まるで、私がレオを大切にしていないみたいじゃないの!」
とか…とか^^;
お恥ずかしいですが、自分の中にある、
レオへの「引け目」…自分が上手にトレーニング出来ていないという、
引け目みたいなのに反応していた気がします。
だから、今も言われたら刺さると思います^^;
思うけど、この手のストレスは「カラオケでばか騒ぎ」では本質的には発散されない。
でもね、効果はある。
それはコミュニケーション。
「吠えクセ」の人とは共有できなかった感覚を、
共有出来る人々に受け入れてもらうことで、
「私だけじゃない」という安心感を得る。
孤独な戦いは辛い。(だから、犬も一人旅させちゃイケナイんだよね)
だから「カラオケでばか騒ぎ」に効果があったのではなくて、
「共有出来る仲間を得る」ということが大事。
人は社会で生きる生き物だから。
不安を呼ぶのも人だけど、癒すのも人。。。
しかし、ある事柄では共有出来る人が、他のことでは共有出来ないかもしれない。
それもまたあり。
相手が自分と「同じ」でないことに、
腹を立てたり、失望することは無い。
腹を立てるのは相手を否定すること、その人の自由を奪うこと。
失望するのは早計。
他の多くの部分で共有できたり、軸や方向性が同じならば、
話し合う要素がある。
そこから、今とは違う思想の展開があるかもしれない。
話し合える関係…というのが大事なんだろうな…
っていうのが、サンデル式のコミュニタリアンなのかしら?^^
さて、あと、私はレオといる時、
「レオを守ること」が、この頃は前面に出過ぎているような気がします。
それも「ストレス」に曝さないために必要なんだけど、
あまりにもソッチへ向かうと、
レオのストレスの元=人とかバイクに対して、被害者意識を持ってしまう。
これもまた、レオにはイケナイ気がする。
ちょっと前に流行った「どこみてんのよ!」状態^^;
ああ〜加減が難しいorz