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評価:
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パイオニアLDC
¥ 6,950
(2000-10-25)
コメント:「何かがおかしいんです」とたしか、そんなことを言う堀内敬子さんがいいです!
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「影響力のある人だから発言には気をつけて欲しい」って、
あるお友だちが言いました。
「そうだよな〜」と頷く私と「おや?」と思う私がいました。
すぐには、それが分からなかった。
震災後だったかな〜
あ、そうそう!坂本龍一!
「福島小学生が原発放射線で死亡」 坂本龍一ツイッターでデマ「拡散」
http://news.biglobe.ne.jp/domestic/0511/jc_110511_7654132270.html
フォロワーの多いツイッターだと「拡散」する力が凄い。
有益な情報なら良いけど、嘘だと困る。
そして
「有名人なら安易に拡散するべきでない」
「なんでRTした先の内容まで責任をもつ必要があるんですか?」
というようなことがありましたよね。
以下引用======
ITジャーナリストの井上トシユキさんは、
「震災後、著名人がブログやツイッターにあることないこと書いて、はしゃぎすぎている印象があります。確かに、著名人だから真偽を見極められるとは限りませんが、誤った情報を信じちゃう人も多いんですから、影響力大きい人が本当かどうかわからない内容を投稿するのは控えるべき。特に坂本龍一クラスだと政治家や大学関係者にも知り合いがいるでしょうから、呟く前に周りに聞けばいいんです。『自分で判断』というのは開き直りですよ。『RTしただけ』というのも、その内容について、いいとも悪いとも思ってないなら何のためにRTするのか。それなら最初からRTしなきゃいい。やはり、普通の人が投稿して無視される内容でも、影響力のある人だと広がっちゃうんですから、気をつけて呟くべきです」
引用終り=======
という評論家が多いと思います。
一件、その通り…というような気もするのですが…
実はね、ここにも「支配性」が潜んでいると思うんですよ。
影響力って何?
多くのRTを生む「力」ってことですよね。
なぜ、多くの人が事の真偽を自力で確かめないままに、
RTしてしまうのか?
RTしない時ってどんな時なのか?
疑わしい時であろうと思います。
「え〜これはデマでしょ?」って思えばRTはしないだろうと思います。
でも「もし本当だったら…」って思ったら、
RTする前に、自分でもちょっと調べたりするのではないでしょうか。
それもせず、大急ぎで、なるべく多くの人に「拡散希望!」の合い言葉でRTしてしまう時って、その内容を本当に信じている時ですよね。
何を根拠に信じているのか!?
それは「信じられる人の発言だから」ではないでしょうか。
しかし…ですよ。
この場合の「信じられる」って…実は根拠がない。
「有識者と言われている人だから」
「有名大学の教授だから」
「テレビで解説していた人だから」
「フォロワーが一杯いる人だから」etc.
「有名人だから」が根拠になっている場合すらある。
なぜ「信じられる人」の発言だから、と自分で考えるのをヤメてしまうのか?
「本当だろうか?」って、まず、自分で考えるべきだと私は思うのですが、
自分よりきっと賢いであろうという人の言うことを鵜呑みにし…
電卓より、パソコンで…いや、パソコンより、スーパーコンピュータで計算した方が、
「正しい筈だから」と、自分の電卓をさっさと引っ込めてしまう人がいる。
実は、デマを広げたのは、影響力のある人ではなく、
この自分の電卓をさっさと引っ込めて…つまり、自分で考えずにRTした人こそが、
デマを拡散してしまったワケです。
しかし、そのRTのエネルギー源は「善意」であるから、
評論家は多くの善意の人を咎めるようなことは言わない。
評論家こそ、「影響力」の使い方を知っていますから^^;
私も考えずにRTした人が悪い…というつもりはありません。
しかし、RTには有名人のつぶやきと同じ責任があるのでしょう。
そこに「差」はない。
そこに「差」があってはならない。
「影響力のある人だから発言には気をつけて欲しい」って、
これはね「支配されちゃった人」の言葉なんですよ。
あなたの言葉に多くの人が影響という支配を受けますってこと。
あなたの影響力に支配されていますってこと。
何も考えずにRTする時、
それは「影響力」の支配に服従している時です。
これはね、実はとても怖いことです。
強い影響を持つ人に服従しよう…という志向があるということ…
日本が太平洋戦争に向かっていった時もそうだったではないですか。
皆が善意=お国の為に…で夫や息子を戦地へ送り出した。
最初は「おかしいのでは?」と思っていた人も、
多くの人が「お国のために」と言い出した時、
発言そのものが憚られるようになった。
ひとりひとりが、それでも「戦争はイヤだ」と言い続けることだけが、
戦争を止められたのかもしれない。
上手く、まとまんないですが。。。
犬に強制訓練をしてしまう場合も、
カリスマトレーナーの言うことなら…と鵜呑みにしたりする。
ささやかな疑問が浮かんでも、自ら打ち消してしまう。
あとから後悔するのは、
「あの時のささやかな疑問について、よく考えれば良かった」とかね。
「影響力」のある人の「デマ」を止めることが出来るのは、
影響力はないかもしれないけれど、服従をうけいれず、
踏みとどまって、ささやかかもしれないけれど、
自分の脳みそで考える人の善意だけだと思います。
この中で、堀内敬子さんと筒井道隆さんは、
どこか頼りがいのない、まあ、なんというか、
知性的でないというか^^;理論派ではない役を演ずるのですが、
「何かが違うと思うんです」…たしか、そんな台詞を言うのです。
上手く説明できない彼女の言葉は、全く説得力がないのですが、
とにかく、この映画の設定での陪審員裁判は「全員一致」なので、
彼女が納得するまで話し合いを続けなくてはならない。
彼女を説得する為に、細かく事件を見つめていくと…
なんと、彼女の言うように「何かがおかしかった」んですね。
「何かがおかしい」と電卓で考えたことが、
スーパーコンピュータと思われた人が見落としていたものを掘り起こし、
結論をくつがえしてしまう。
こういうことて、ファンタジーではなく、リアルにあると思うんです。
だから、私は日本の裁判員制度の多数決には絶対反対なんですけどね。
しかも、裁判長が加わっている。
もし、この堀内敬子さんの役のような人が、実際に参加していたら、
裁判長の意見た多数派だった場合、おかしいと思いつつも、
裁判長側に手を挙げてしまうんじゃないのかな?
私はそれに抗えるだろうか?といつも自問しています。
というワケで、
影響力のある人…っていうか、影響力の無い人も、
自分の発言には責任を持たなければいけない。
もちろん私も。
それよりも、重要なのは、
「鵜呑みにしない」ことだと思う。
ちゃんと自分で考えよう!おー!