レオと短いリードで歩くことを練習していてツラツラ思いました。
ちょっとダッシュしたい…ということが短いリードでは許されないので、
思い通りにならないことでレオはイラっとする。
もう少し長ければ、レオも納得してイラっとしない。
以前よりは、随分短くてもイラっとしなくなりましたが、
大通りを安全に歩く長さではイラっとしやすいです。
あと、レオを促す、止まるといったタイミングも実に難しい。
動かした、止めた瞬間、同時に、すぐ近くを自転車や人が通るとスイッチが入る。
自転車や人が通る時には、私がそれを先に気付いて、
動かすべきが止めるべきか、または何もしないのか、タンタンするのか…
そのときに最適なことを選ばないとスイッチが入る。
…なのですが…。
大通りを上手に歩いている飼主さんが、皆こんなに細かく何かをしていたりはしません。
始めから大通りを歩けた飼主さんには理解出来ないと思います。
「そんなに神経質だからダメなんだ」なんて言う人だってあるでしょう。
まあ、それはさておき…
レオと私もいつか自然に歩けるように…と思っている、今は過渡期なワケですが…
自然に歩けてしまうコのことを考えました。
歩けるコは自分で「大丈夫」という判断をしているんですよね。
だから、アワアワする必要もないし、スイッチも入らない。
レオも「そのように判断」して欲しい。いずれは。
その為の手助けが今の状態だと思うのです。
「ほら、がんばれた」「ほら、大丈夫だった」「ほら、出来た」を重ねて、
次は自分から「これは大丈夫」となれるように。
ということを考えていて…ということは、どこかでレオが考えるタイミングも必要なのではないか?って思いました。
マニュアル君や指示待ち君では、本当の安全は図れない。
自分で考えることで自分の世界は広がる。
生きる楽しみというのは、自分で自分の世界に立つこと…なんて私は考えるので。。。
レオは犬だから、永遠の三歳児だと私は思っています。
つまり親の保護が必要ということ。
でも、三歳児が親の保護下にあったからといって、
何もかも親の指示で動いているのではない。
三歳児は三歳児なりの人生を生きている。
今はレオが「安全」を理解する為に私の補助が必要だけれど、
いずれは自分で判断できるようになってもらう。
その為には、今、指示を出しつつも、レオが「考える間」もなければイケナイのでは?
って思ったんです。
指示を出してその通り動くこと…で終了ではなく、
指示を出して、レオもそれが良いと思って互いの行動が一致する。
「レオもそう思う」が必要だと思うのです。
さて、今はリードを短くしつつ、
どうやって、どこに「レオの考える間」を入れるか。
私は、正解の行動を強制しがちなタイプです。
だからこそ、促しはするけれど「同意」を得られたか否か慎重にしたいと思います。
「犬が何をしたか」という「見える行動」しか見えない人には分からないでしょうが、
ここがね、チョークを使って強制したがる人との決定的な違いなんだから、頑張りますよ^^