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    犬の肖像画

    • 2013.07.30 Tuesday
    • 16:15
    なんと!レオ様……肖像画を描いて頂きました〜〜〜〜!!!!

    ウチのコに分不相応な…もったいない…

    とは思うのですが、ご縁ですねえ〜。

    PIKA PORTRAITS of dogs
    http://pika-pika.petit.cc/


    まだね、開店前に「描いて〜」なんて気軽にお願いしちゃったのです^^;
    本当に快く描いてくださって。

    レオは、この7月17日に7歳になりました。
    なんだが『7揃い』だし…その「誕生日祝い」という名目で…と。


    レオ様、真剣に確認しています。
    ヤラセじゃないんですよ。
    置いたらこうなった^^;
    私は壊さないかドキドキしながらでした。



    ごたいめ〜ん!

    これもヤラセじゃないんです。

    なんだか真剣に見て、臭いも嗅いでいました。
    汚されないかドキドキしてました^^;



    私はあ吉さんの絵が好きです。
    犬が好きで犬をよく知っているんだろうなあ〜って思います。

    飼主さんが送ってくれた写真を基に描いている筈ですが…
    「いつの間にレオに触りに来たの?」っていう位、毛の感じとかちゃんと出てます。
    ポメの毛って結構個体差が激しくて、
    レオも先代犬の毛とは全く違います。
    かなり猫っ毛です。犬なのに。
    その先代犬とに違いを私はいつも感じているのですが、
    それがちゃんと描かれている。


    …そしてね、送っていただいた絵を見て……気付いたんですよ。

    この元になった写真って、むかーしの携帯で撮ったものなんです。

    だから多分、3センチとか5センチとかの大きさしかないと思います。
    かなり粗いと思います。



    写真を元に描く…といっても、そんなに粗い画像を資料に、
    会った事もない、もちろん触った事もない犬の肖像を書き上げてしまうなんて…

    しかも、なんとも言えない、私も一言では言えない「レオらしさ」が出てるんですよ。
    「ああ、これってレオだなあ〜」って思う。
    似てるとかそういうのではなく、絵から滲み出る。

    沢山の写真もレオなんだけど…
    先代犬の写真もいくらかあるけれど…
    私には、どの写真も先代犬とは何かがちょっと違う気がして…。

    だけど、あ吉さんに描いていただいたレオは「レオだわ〜」って思う。
    だからね、これはもう肖像画なんだよね。


    描いて頂いて良かった。
    本当にそう思います。
    あ吉さん、どうもありがとうございます。






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    笑顔と寝顔

    • 2013.07.30 Tuesday
    • 15:20
    お散歩に行って、キッカブルなウンチ君して、
    数カ所あるお気に入りの場所の中から、今日の場所に陣取ってちょっとオヤツ食べて。
    帰って来て、体を洗って、玩具で一暴れして、
    ごはんを食べてゴロン。

    ほれぼれする程満ち足りた顔でスヤスヤ寝ている。

    チャーリーママさんから、もう何年も前に「愛しさも一層…」というコメントを頂いた時、
    …確かにウチの子だからレオは可愛いけれど、
    今思えば、あの頃はまだ、それほどコミュニケーションが上手くとれていなくて、
    気持ちが行き違う事の方が多く、
    可愛い、愛おしいのだ、と思いたいのに、上手く気持ちが通じ合わない事の寂しさがあった。



    最近、このレオの満ち足りた寝顔は本物だと思う。

    気持ちが行き違うということが無いから、レオも満ち足りているのだと思う。

    年単位で時間がすぎてしまった気がするけれど…
    チャーリーママさんにいただいたコメントの境地にやっと辿り着いたなあ〜って思った。



    よく遊ぶようになった。


    ペコ母さんと引っ張りっこ遊びの事を話してからだと思う。

    私も意識してレオと遊ぶようになった。
    オペラント的な…クリッカートレーニングのような遊びをやったり…

    引っ張りっこを教えてレオが自信を強めていく姿が頼もしい。

    褒められると、頑張る。
    素直だ。


    犬との遊びは、仔犬の頃だけで良いと思っていた。
    あとは、犬が勝手に玩具を振り回して遊ぶ程度なのだろうって思ったいた。
    先代犬とも遊んだけれど、大人になってからは、こちらが気が向いた時だけだった。


    レオと毎日遊ぶようになってから…
    レオはボール遊びが上手になった。

    始めは軽くて小さなボールかぬいぐるみだけだったが、
    最近は、直径が20センチ位の…
    キャンディボールって言うのかな?


    こういうボールで遊ぶようになった。

    これは、レオが仔犬の頃にわざわざレオの為に買って来たものだ。

    外で、サッカーをやっている子供に出会うと大興奮するので、やるのかな?って思ったので…
    (これがね、ボール捌きの上手なコでないと遊ばないんですがね)

    …でも、家では全く遊ばない。
    それどころか怖がって逃げ回っていた。
    何度も捨てちゃおうかなって思っていたのだが…物持ちが良くて^^;

    すると、ある日…自分で転がしてました。

    暫くしまっておいたのだけれど、怖がるからこそ、触れる場所に出しておきました。
    ステンレス板に馴れたように、馴れる事が可能だと分かったから。

    いつから大丈夫になったのか?

    とにかく、自分でサッカーしてたので、私も乱入。

    蹴ったり投げたりしているウチに、
    バレーボールのトスみたいに、私が投げるとレオが鼻と前脚を使って打ち返し、
    私はキャッチしてそのままパス、すると打ち返し…
    そんな事を連続で出来るようになってしまった。
    10回位で止めるようにしているけれど、私が止めない限り続ける勢い。

    高く投げると怖がったのだけれど、最近は全く平気。

    私が頭の上から落とすとバウンドするのを待って、跳ねたボールをキャッチ。
    これは「テニス」だ^^

    ペットボトルも大好きで投げるとキャッチしたり、
    鼻先スレスレでかわしてみたりするのだが…

    そうだ、これも最初の頃は怖がって随分離れた場所で落ちるのを待っていたのだった。
    確実に落ちたのをキャッチする感じだった。

    それが今は、どう投げても、鼻先スレスレでかわす。
    あれ?これって意図して体をそこへもっていってる?

    球技の基本ですよね。
    ボールのどこに自分の体を運ぶか。

    そんな事をいつのまにか、楽しんで自信を持って出来るようになっていたらしい。

    すると、そんな風に遊んでいる時に、少々何かが倒れたりしても全く気にしなくなった。

    実際は、カーテンや紙が風で揺れて飛ばされてもビビるのだが、
    段々気にしなくなっている。

    そして、何より、レオは私と遊びたがっている。
    びっくりするほど、私と遊びたがっている。

    散歩から帰って、私はすぐにレオのごはんの支度をしたい。
    しかし、レオはこの散歩後のタイミングで暴れたいらしい。
    散歩の高揚感の為かもしれない。

    そういえば、レオは犬と遊んだ事が無いと思う。

    ぼんやり一緒にいたり、臭いを嗅いだり、オヤツを並んで食べたりはするけれど…

    犬と追っかけっこやレスリングをしたことはない。
    王子様が時々さそってくれるけれど、見なかった事にしている。


    正確には追っかけられた事はある。ドッグランで。
    無知だった私は追いかけている飼主さんの「大丈夫ですよ」で眺めてしまった。
    レオが必死に逃げていたのは分かった。
    遊びではない「教育的指導」って感じだった。
    それが筋の通った教育的指導だったのか、あのランで常連である犬にとっての、
    当然の縄張りの主張だったのかは分からない。
    でも、私は眺めてしまった。
    相手の飼主さんは「遊び」と認識していた。

    あれは遊びではなかったし、止めるべきだったし、やらせるべきではなかったと後悔している。私が無知だった事による失敗だ。

    あの飼主さんにとっては「いつも見ている光景」だそうだ。

    ということは…
    あのランは危険だ…と言う事が後から分かった。



    レスリングは「マジ」ならやるし、今でもうっかりすると仕掛けてしまう。
    でも、それは遊びじゃない。

    だから、遊びでレスリングを楽しんでいるお友達は、レオが仕掛けても応じない。
    レオのは遊びじゃないからだ。
    だからと言って彼はレオを嫌うわけでは無いから犬って面白い。

    マジならやるけど、遊べない…とうのは、遊ぶ余裕が無いんだろうな。


    とにかく、散歩の後の遊びをレオはとても楽しみにしていて、
    私がうっかりしていると遊べ!と大騒ぎになってしまう。
    要求吠えを出させてしまったら、私の失敗。
    なんとかワンクッション置いて…遊ぶ。

    大興奮で遊ぶ。レオが全く遠慮しない位遊ぶ。
    これがすっごく楽しそうなのだ。
    ニッカニカしている。
    こんなに楽しみにしているなら応えないわけにはイカナイ^^
    暫く遊んで、動きが少なくなったら疲れて来たのだろう。
    玩具を片付ける。
    …そう、放っておいてはイケナイ。片付ける。
    「終了である」というメリハリ、かな。
    テンションが戻るのが分かる。

    そして、ごはんを食べて寝るともうスヤスヤと満ち足りているのだ。


    ニッカニカの笑顔をスヤスヤの寝顔を見て、
    本当に良かったと思う。

    チャーリーママさんに出会わなかったら、
    私とレオにこういう時間は来なかった。
    絶対来なかった。

    レオが何考えてるのか、何かを感じているのかも分からないまま、
    私もレオも楽しくない時間を潰して生涯を終えてしまうところだった。




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    議論って「反論」することじゃない

    • 2013.07.20 Saturday
    • 13:49
    評価:
    岩田 宗之
    新潮社
    ---
    (2007-10)
    コメント:ディベートが嫌いだ、と言ったらある方から薦められた本。



    やなおさんとコメント交わしていて、やっぱり、このテーマも一度書いておこうと思おう。
    やなおさんやまっちゃんママさんや、あ6699さんやらくがき庵さんやしおやまさんや…
    教えていただく事の方が多くて、まさか…と思うのだが、
    実は、これらが「議論」なんですよ、ね。



    「議論」っていうと、
    「意見を言うもの」
    「反論をするもの」って思う人が圧倒的だと思う。
    私も、そう思っていた。
    だから、人が何か言うと「何が同意できて、何が同意できないか」
    同意出来ないと思ったら、どう反論するか。
    そんな風に身構えていた気がする。

    …そう身構えていたのだ。

    「議論の場」というのが、意見を付き合わせて、どちらの意見が通るかという勝ち負けの場だと思っていた。

    さもありなん。。。


    小学校の学級会も、朝まで討論も、国会中継も、皆そういう事をしている。
    そして、最後には「多数決」で「正しい意見」を決める。

    これが「日本の民主主義」だ。

    でもね、多数決って単に「功利主義」なだけだよ。
    「最大多数の最大幸福」だ。

    多数決は便利だ。
    複数人で何か1つの結論を出さなければならない時に、
    どこかで線を引かなければならない。
    もっとも多くの人が満足する結論であれば不満を唱える人の数はそれよりも確実に少ない。
    少数の反対派を封じるには都合がいい。
    もちろん「満足」を感じる人が多いということは「常識的」で「幸福感が多い」ということではあるが。
    功利主義による多数決には、少数の反対派の「犠牲」があることを忘れてはならない。

    日本では「多数決」が正しい事、全ての基準に思われている感じがしてならない。
    裁判員裁判の評決が最終的に多数決と聞いた時にショックだった。
    これが日本の民主主義の根幹なのだ…と。
    少数、弱者を切り捨てる事が前提の民主主義であるということを、私達は知らなくてはならない。




    脱線したが…。

    議論が嫌いだ、という人が結構いる。
    議論すると「ケンカ」みたいなモノになってしまうからだ。
    たとえ自分の意見が通っても、指示されても、疲れるし、傷付く。
    要らない事を言ったばっかりに心が消耗してしうのだ。
    「要らない事」だったのか?
    「言葉」にしたのは「言う必要がある」と思ったからのハズだ。
    でも「議論」になったばっかりに心が消耗するのなら、
    そうまでして「言う必要は無かった」…と後悔する。

    こうして、またヒトリ、議論を怖れ口を噤む人が出る。

    特に、ブログのような匿名の場では、
    自分だけは傷付かない場所から、ブログ主を攻撃する事が出来る。

    これは、ネット上のルールとしてはアリだ。
    禁止するか否かは各ブログ主が決めればいい。
    その自由選択を私は良いと思う。

    それをどう使うか、は「その人の人間性」による。

    腹が立ったからと、捨て台詞や、荒らしをして楽しむのか…
    それは、その人の人間性の問題だ。

    自分の意見を言いたいのなら、
    自分のブログですれば良い。
    それとは別に、匿名で誰かを傷つけたい人が、
    通りすがりに捨て台詞を書いて行く。
    誰かを傷つけても、アナタの心は鎮まらない。

    アナタの反論が正しと思うのならば、
    匿名の日陰ではなく、
    陽の当たる真っ当な場所に書いてあげる方が良い。


    ブログ主だって多くは匿名だ。
    でも固定ハンドルだ。
    コテハンは「ソコ」に定着して過去ログを抱えて年単位で「在る」のだ。

    ネット上での人格が既にあり、リアルから見れば匿名だが、
    ネット上では文字通りネットワークを構築している。
    「匿名」によって逃げられない状態なのだ。

    そういうブログの中で意見を言う人は、
    それらを背負って発言をする。

    通りすがりに捨て台詞を吐いて行くのは「意見」ではない。
    現実社会では黙って通り過ぎている人が、
    ネットでは捨て台詞を吐く。
    捨て台詞でなく、キチンとした意見であれば、
    自分が通常使うハンドルは最低限。
    出来れば自分のブログのリンクを張るべきだと思う。
    自分の反対意見が正しく、それを多くの人に知ってもらいたいなら、
    自分のリンク先を張って、自分の意見を広く伝える方法を取るハズだし、べきだ。

    ブログ主にだけ知らせたいなら、
    ブログ主が知っていれば公開の場に書く必要は無いけれど。
    自分が意見を言いたいブログ主に自分がどういう人間か全く伝えない「とおりすがり」は、
    捨て台詞に繋がる。

    私は議論にも人の話しを聞く事にも自信が無いから、
    あまり皆さんのブログにコメントはしない。
    コメントする時は、HNを名乗る事、ブログのリンク先を張ること、を自分に課している。
    それが出来ないのであれば、基本的にはコメントはしないことにしている。
    同意であれば、匿名でもほぼ構わないとは思うが。

    しかし反論であるならば、相手の方の心に踏み込む事になるから、
    自分も覚悟しなければならない。
    ブログ記事のような独り言ではなく、
    コメントという特定の誰かに向かって意見を言うということは、
    諸刃の剣だ。
    相手を傷つける以上に自分が傷付く覚悟がなければならない。

    それがHNとリンク先だ。
    その覚悟が無いなら「一方的に相手を傷つけたい衝動」に自分が狩られているのだ、と理解してコメントは控える事にしている。



    ああ〜また前置きが長くなった^^;
    枕の長過ぎる落語家みたいだ^^

    そのくらい、議論をする場では対等でなければならない、ということ。
    不用意に議論をしたら傷付く事がある。
    というか…反論の応酬は、大体疲れるし、疲れるということはどこか傷付く。
    だから、それを恐れて議論そのものをしない人はいる。


    でもね、それってそもそも「議論」のしかたが間違っている。


    この本。私はネット上のサイトで読ませて頂きましたが。。。


    議論のしかた
    http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/giron/index.html


    このサイトの中の議論の精神に…

    議論の精神
    http://iwatam-server.sakura.ne.jp/software/giron/giron/ar01s03.html

    議論とは何か

    議論とは人の意見を聞いて理解する場である。

    とあります。私はこれだと思うのです。

    ソクラテスは議論好きの爺さんだったそうですが。


    ソクラテスは「アンタの言う事は間違っている」と「反論」をして歩いたんじゃないんですね。
    「質問」をして歩いていた。
    「それはなぜ?」って聞いていたんだと思う。

    盲目の師匠 10 ■師匠の死
    http://bard.jugem.jp/?eid=1051

    しかし、この人のいけないところは、相手かまわず、だれかれとなく議論を吹っかけることだった。このために体面を傷つけられたと思った人は数知れず、とうとう町中の嫌われ者となって裁判にかけられてしまったのである。

    自分が理解出来るまで、しつこく聞いたんだと思う。
    「それはなぜ?」と聞く事がなぜ「相手の対面を傷つけたのか」

    「なぜ?」と聞かれ続けるうちに、聞かれた人が自分でも最初は「正当だ」と思っていた意見のほころびに辿り着いてしまったのだろうな。
    疑問点を正して行くうちに、ほころび…意見の破綻に辿り着く。
    意見が正当ではないと追いつめられた人の「対面」が「傷付いた」のでしょうね。
    でも、ソクラテスは相手の意見の綻びを探していたワケではなく、
    ただただ単純に「なぜ?」って思っていたのだと思う。
    「真実を追求」したかったソクラテスには、それが相手を傷つける事だとは思えなかった…のでしょう。

    「議論とは人の意見を聞いて理解する場である。」

    だから、自分が理解できない事を「なぜ?」と聞くのは当然なのです。
    反論するには、相手が「こうだ」と思っている意見を自分も全く同じレベルで理解出来てはじめて、その続きに「…でも、ここが違うかも」という事になるのでしょう。

    もしかすると、一見対立する意見であっても、
    表面的な言葉のチョイスの違いだけかもしれないし、
    同意すると思っていても、深く聞いてみたら根っこがちょっと違う事によって、
    結論は正反対になってしまうかもしれない。

    それらをホジクリカエシテ精査しましょう!っていうのが「議論」なのだと思う。

    私が議論がいいな、と思うのは、
    対等に議論すれば、タトエ結論の意見は違っても、
    精査し合った人同士、これ以上の理解は無いという所に辿り着ける。
    結論は違っても、だ。

    ここが「宗教」との違い。

    「宗教」は、まず「結論」が一致していなければならない。
    そこがスタートライン。

    理想的な民主主義は、完全なコンセンサスの上にあるのだろうと思う。
    夢のようなユートピアの世界だけれど…それこそ宗教的な理想郷のようだけれど…。

    意見の相違があっても、互いが十分に理解しあえる仲であれば、
    互いを赦し合う事が出来る。

    私が個人主義を良いな〜と思う事の1つに、
    違った意見を持つ人との距離感の取り方、理解の仕方があるかな。。。


    というワケで、
    議論というのは「アナタの意見は間違っている」の応酬ではなく、
    「それってどういう意味ですか?」と相手に聞いて教えてもらう事。
    専門用語が分からなかったら教えてもらったり、
    その上で、その人がなぜそういう意見なのか、それを互いに解きほぐして行く場、
    それが議論の場。

    これによって、互いの知識が環流して専門性が高まり、
    その上で、肚の底から分かり合える。

    まあ…簡単に短時間には無理でしょうけど。
    学生時代はそんな密な時間を……若くて柔軟な張りのある魂だった頃は惜しまず出来たのだけれど。

    でも、マイケル・サンデル教授の目指す所はソコじゃないかな〜なんて思う。





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