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評価:
杉山 尚子
集英社
¥ 693
(2005-09-16)
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評価:
奥田 健次
集英社
¥ 777
(2012-11-16)
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行動分析学の方法で、既に私の中で馴染んでいるモノに気付きました。
「家事動線」
最初に習ったのは家庭科だったな^^
最近はリフォームの番組によく出てくる。
家具の配置とかをちょっと変える事で、行動が変わって来る。
失敗や間違いのリスクを避けることが出来る。
「失敗」とか「間違い」という「行動」を、弱化させる。って事だと思った。
こういうのが「応用行動分析学」じゃないのかな?
それと、同時にやはり思うのは、
パーソナリティを考える方法との違い。
例えば「消去バースト」
やってもやっても変化が無いとその行動は消去される。
その過程で、「やってもやっても」が、
「やってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやってもやっても…」
に、なっちゃう…それが消去バーストが置きている状態。
でも、この消去バーストがどの位の激しさで、どの位の期間続くのかは、行動分析学では分からない。
…それって、個体によって違うワケだけど…
…って、つまり「パーソナリティ」の違いなんだよね。
「執着しやすい性格」であるとか、
「○○だけは譲れない」って思っているとか…。
その個体によって様々に違う要素が、
消去バーストの規模を左右しているんだよね。
じゃあ、パーソナリティに注目した方法は…っていうと…
これが「認知行動療法」なんじゃないのかな?
簡単にいうと「考え方のクセ」を知って、必要に応じて、そのクセを変える。
誰にも考え方のクセはあって、
自分なりの好みというか、色眼鏡というか…
誰でも必ず「自分」という「フィルター」を通して世界を観ているんだけど、
それは、主観であろうと想像した客観であろうと、
生きている限りは「自分フィルター」は外せない。
その「自分フィルター」を自力で調整しましょうっていう方法だ。
「性格は変わらない」「自分はこういう人間だ!」「自分は正しいから変えない!」
…とかは、自分フィルターを変えたくない人の言い訳でもある。
自分フィルターを変える…というのは、
ヤドカリが貝殻を変える瞬間の事でもある。
貝殻を変える瞬間は、柔い部分が露出するから、とっても怖いけれど、
新しいメガネに返ると、世界はこんなに明るかったのか…!なんて事もある。
で、気になっているのが、
まだ「入門」も読み終わっていないのに^^;
こちらの「メリットの法則」
メリットがあれば人の行動は自然に変わって行くんだよね。
つまりね、コッチの貝殻に変えた方が色々楽だ、と思えば、
貝殻を変える事の怖さよりも、その後の心地良さによって、
交換が容易に出来る。
自分の今捕われている考え方や、
執着している方法を変えるには、
「内観」みたいなモノが必要だったりする。
ふとした時に、大きいモノも小さいものも含めて…
「認知の枠組み」が崩れる事もあるけれど、
自己概念が崩壊する…という恐怖は、一人ではなかなか乗り越え難い。
特に「否定」で育てられ「良い子」であることに強迫観念を持っていると、
これは、本当にシンドイハズだ。
なぜなら「良い子」は間違えてはイケナイのだ。
しかし、認知の枠組みが変わる…というのは、
「私は間違っていたのだ」という事に「気付く」事だから。
「良い子」であることと、
「間違う」事は対立しない、ということを心が受入れないと難しい。
…でも、「メリット」が先に見えていると、
それまでの「自己概念」=「価値観」は割と簡単に捨てられる。
これは…上手い方法なんじゃないか!? って思う。
新品のクリアなレンズを見たら、
良く見えそうだ、って思えば、メガネを変える気になる。
行動分析学から、認知行動療法への逆アクセスなのか?
なんて、妄想している。
だから、ちょっとこれも読みたいな…と。