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評価:
杉山 尚子
集英社
¥ 693
(2005-09-16)
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評価:
杉山 尚子,島宗理,佐藤方哉,リチャード・W. マロット,アリア・E・マロット
産業図書
¥ 3,780
(1998-03-30)
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トレーナーの言う事はすんなり聞くのに、なぜ飼主さんだと上手くイカナイのか。
飼主さんの指示の出し方がダメだから。
って良く言われるし、多分そうなんですよね。
毅然と!とか言われて、
そのうちに「なめられている」から…と、暴力的になって行ったり。
または、お父さんが連れていると大丈夫なのに、
お母さんが連れていると、吠えたり、不安がったり…とか。
お母さんが弱いから守ってあげているんだ、とか、
お母さんの指示が分かり難いからとか…
そんな風にも言われる。
お母さんを守っているとかが真実かどうかは置いておいて…
確かに、連れている=リードを持っている人によって犬の様子が変わる事は多々あります。
これ、ホント自信無くしちゃいますよね。
で、そんな時に「アナタがそんなだから」系のフレーズ。
ある意味「正解」なんです。
ワタシの不安が犬も不安にさせている…としたら、
ワタシの緊張が犬にも移っているとしたら…
トレーニングに無頓着で、
吠えっぱなしにさせていてもヘッチャラな人の方が、
電車とか病院とか、公共の場所で、
むしろ吠えさせないで過ごしていたりする皮肉な事があったりする。
ヘッチャラだから、堂々としている。
だから、犬も不安にもならないし、緊張もしない。
じゃあ、吠えている犬の飼主さんが最初から緊張や不安があったのか?
そういう人もあるかもしれない。
でも、アタシなんかは無かったワケです。
ヘッチャラ系のトレーニングに興味のない飼主だった。
でも、レオがパニック的に吠える事で、
その吠えをナントカしたいと思う事で、
むしろ、緊張や不安が私の中にも生まれて来た。
「レオを古典的条件付けで救ってあげたい」と思う一方で、
私の方が、レオの発作的な吠えに古典的条件付けされてしまったような…。
オロオロとするレスポンデント反応が出るようになってしまったのかもしれない。
…そんな事に思い至りました。
少し脱せんしますが、
カエデさんと「境界線=パウンダリー」の事について話していました。
境界線ということについての認識は違っていないと思うのですが、
それが「親子関係」であった場合のイメージがちょっと違うのかな、
と色々話していました。
https://twitter.com/happa_no_kaede/status/402361215327809536
「私の場合”境界線”と”心の港の入口”は別、っていうイメージです。飼い主(親)の境界線が子供(犬)に対してだけは開いているから安心なのではなく、境界線は保たれたままその人が港を用意してくれているから安心、という感じ。」
これがカエデさんのイメージ。
私のコトバで置換えると、
スリングに入ってレオを抱いている感じ。
当たらずとも遠からず…な感じかな。
私は、親子に限っては、親の境界線の一部が切れている感じ。
卵の殻に穴が開いていて、そこに子供の卵が納まっているような…
カエデさんの描くイメージが「健康的な親子関係」な気もします。
もしくは、カエデさんのイメージは、
「親子」というよりも「教師と生徒」とか、「コーチと選手」というような気もします。
私の「卵の殻に穴が開いていて、そこに子供の卵が納まっているような」イメージは、
確かに理想的な健康的な関係は築き難い気がします。
ただ、レオと暮らして私は徐々に卵の殻を自ら割って、レオを受入れようとして来た…そんなイメージがあります。
そうする必要があった…というか。
始めはもっとクールだったハズなんですよね。
だから「レオママ」と呼ばれる事をイヤではないですが、自ら「レオママ」とは名乗らなかったのだと思います。
でも、レオの発作的な吠えに自らも引きずられるような感覚…。
「少しでも早く、良くなって欲しい」というのも母心ですね…と言って下さったのは、れあママさん。
抗っていたはずなのに、そうなってしまった^^;
少し前の記事にも書きましたが、
レオに対してトレーナーであった方がレオは動き易いのだろうと思います。
お母さんの言う事は聞かないけど、トレーナーの言う事は聞く…のパターン。
これは何もなめられているとかではなく、
お母さんの指示が分かり難いから、
トレーナーのように分かり易い指示を出せば上手く行くはず…というもの。
これは、これで正解なのですが、
正解なのに、これを言われてもほとんどの飼主さんは上手く出来ない。
なぜか?
正解がこれではないからだ!
…ということに、行動分析学で気付きました。
この本の冒頭で、こたつに手を突っ込んで朝食を獲ってしまう弟。
「食事の時は手を出しなさい」と注意される。
↑これ、この「食事の時は手を出しなさい」が、
「トレーナーのように分かり易い指示を出しなさい」に該当するのです。
この本を読んだ方なら分かりますよね。
弟には手を出さない理由があるから出さないわけで、
そこの問題が解決されると、手はこたつから出てきた。
片手をこたつに入れていては、食べずらいから出せるものなら出したかったのでしょう。
お母さんの犬に伝わり難い指示だってそうですよね。
でも、こたつから手を出したような「何か」をしないと、
いくら「アナタの言い方が…」とか言っても改善はされない。
そういう言い方になる「理由」があって、
言い方を変えるには、その「理由」の方をナントカしないとイケナイのだから。
自信の無い人に「自信を持ちなさい」
緊張している人に「リラックスしなさい」
笑えない人に「笑顔で!」とか…
全部無理!
自信を持ったり、リラックスしたり、笑顔になるには、
「●●にしなさい」と言われてなるもんじゃない。
2×X=6
とします。
2が自信の無い人。
6が自信のある状態、なんです。
確かにこのかけ算の答、つまりイコールの隣は「6」だけど、
この数式を解く「答」は「エックス」の部分ですよね。
これが行動分析学なんだよね。
今、簡単に自信の無い人全てにこうすれば良いとは、ケースによりますから言い難いですけど…
例えば、笑顔になってもらいたかったら、
「笑顔になって」なんて言っても多分無理で、
思わず笑っちゃうような事を言って上げることでしょうね。
笑顔になるが6だとしたら、
「思わず笑っちゃような事」がエックス。
つまり「アナタがそんなだから」系のフレーズは、
行動分析学で「循環論」と言われるもので、
グルグル回ってしまうだけで、一向に出口には向かえない、
むしろ言われた人を追いつめるだけの「意味の無い答」なんですね。
そうですね〜…
だから「自分を変えなさい」は、有効なアドバイスにはならないですね。
「6」に該当してしまい、循環論に陥ります。
ガンバレ!という励ましのコトバとしてはアリかもしれないですが、
もし、真剣にアドバイスをするのであれば、
「エックス」を見つけてあげないとアドバイスにはならない。
前の記事を書いた時に、
「トレーナーやティーチャーよりコーチングのコーチはいかがでしょう?」
というコメント頂いたんです。
「そういう気持ち」を持つ事が、エックスになって6を導ける人もいると思います。
多分、それってカエデさんのような境界線と港のイメージでいる人なのかな…
私は、自分が「ティーチャー気質」(愛情の注ぎ方のパターンの1つ)で、
その欠点の方が気になって、ティーチャー的な行動はなるべくしないように…って思っています。
だって、そう思っていても十分説教好きですから^^;
ティーチャーは上から引っ張り上げる人。
ペアレンツは横に並んであげる人。
ナースは下から押し上げる人。
なのだと、私は思います。
だからティーチャーは上から目線なんですよ。。。
トレーナーもティーチャーにすごく近いですよね。
コーチの方が目線はペアレンツに近い。
でも、私がやったら、やっぱり鬼コーチになりそうだなあ…と^^;
それで「セコンド」ってどうだろう?って考えました。
空手の試合で、よくセコンドしました。
この感じは悪くないなあ〜と思うので、またいずれ書いてみようと思いますが…
そんな事を考えつつ…
でも、どうもしっくりイカナイ。。。
そんな時にカエデさんと境界線の事を話していて、
私の卵の殻のイメージだと、
コーチなども、ちょっとシックリいかないのかもしれない、と思いました。
でも、私、この卵の殻のイメージ…悪くないな…って思っているんです。
親が子供の事を我が事のようにオロオロしてしまう。
内心、そういう思いを抱えた人が自分にいる…ということが、
子供には、それはそれで必要なんだろうな「親だもの…」
キレイに割り切れない冷静になれないドロドロとした卵の中身を曝してしまっても、
それでも子供を抱えて守ろうとするのも、親なんだろうな…と。
この時、子供の方の殻を破ってしまうのは、ダメなんです。
それが「スポイル」のイメージ。
犬を受入れる為に、他人には開かない境界線を開いている…
その事で、トレーナー的に指示を出せないとしたら…
ちょっと他の方法を考えてみようかな、と思いました。
6に導く為のエックスは3とは限らないと思うのです。
算数苦手ですがね…(1+2)でも良い筈だし。。。
私なりのエックスを探してみようと思います。