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    日本手話 プロセスとコンテンツ 犬語 ベビーサイン

    • 2013.11.29 Friday
    • 13:12
    いろんなモノにプロセスとコンテンツがある。

    http://blog.presnt.jp/perspective/2013/01/the-art-of-making-red-dress

    プロセスは見えない。
    見えたものがコンテンツ。

    上の動画で言えば、注釈や補助線がプロセスだ。
    完成した赤いドレスしか見ない人にとっては、
    その製作過程もプロセスと言える。

    発せられた言葉はコンテンツだ。
    文章は文字として書かれたものがコンテンツ。
    「行間を読む」の行間は「プロセスを読む」ことだ。


    しかし、プロセスは本当に見えないのか?

    実は、見えている。
    余程巧妙に隠さない限り、プロセスも沈黙の語りをしている。

    プロセスをどのくらい読むかは人による。
    もの凄く読む人もあるし、
    全く読めない人もいる。

    「…そうは言ってはいなかったけど、なんかそんな雰囲気だった」
    なんて言う時は、雰囲気がプロセスに該当する。

    多くは直観的に読んでいるから、
    何によって自分がその雰囲気を感じたか、具体的なモノは見えていない。

    ちょっと脱線するが、
    「直観」が上手く分からなかった。
    「直感」はピンと閃く事。
    根拠が無いのだ。だから当たる事もあれば外れる事もある。

    対して「直観」は、経験の末に得た「近道」なのだ。
    だから、あまり外れない。
    経験によってショートカットしているだけだから、
    熟考したことと変わりがない。

    そうはいっても、直観と直感???

    私の勝手な仮説だが…

    直観は、脳の少し古い部分にあるのかもしれない。
    私は直観の為の経験も「私」という、この一代の経験と考えていたのだが、
    私達の持っている脳の古い部分は爬虫類?魚類?もっと前?からのバトンだ。

    少しだけ古い脳には、私の少し前のご先祖さんが得た「経験」が蓄積されているのだ。

    「生きのびる確率の高いDNA」などは、多分、脳の少し古い部分の蓄積によるのだと思う。

    だから、初めてやったのに、サラッと出来てしまう事とか、
    得意な事、不得意な事などは、この部分の影響を受けているのかもしれない。


    プロセスを読む目……これは「直観」なんだと思う。
    これこそ、サクッと読んでしまう人は、ご先祖さんもそういう人だったのではないか。
    それを引き継いでいるのではないか。

    …とはいえ、新しい脳に頼りがち、古い脳を信頼しない人は、
    多分、古い脳の機能に蓋をしてしまっている感じがする。
    新しい脳に頼る人にとっては「見えない」から「根拠」が無いからね。

    でも、プロセスは「見えて」いる。
    言葉のコミュニケーションは「音」でするものだ、と主張する人には「見えない」。


    http://tv.yahoo.co.jp/program/80114451/

    ろう文化のけん引者である米内山明宏氏の流儀を、明らかにするシリーズ2回目は「ことば」の世界をテーマにする。日本手話と日本語を生き生きと扱う米内山氏の思いをきく。

    ろう文化のけん引者である米内山明宏氏の流儀を、明らかにするシリーズ。2回目は、「ことば」の世界をテーマにする。現在、米内山氏は、聞こえる人と聞こえない人を同時に対象とした手話の講義を行う。ろう者の手話・日本手話を「ことば」として尊重してほしい、一方で、ろう者にも日本語を正しく理解してほしい。「ことば」を生き生きと扱う米内山氏の流儀を、実践とインタビューで伝える。


    手話をブロックサインだと思ってしまうと、
    コンテンツをコンテンツに置換えるだけの作業になってしまう。

    これでは「コミュニケーション」ではない。

    翻訳というのは、異なった言語を変換する事ではない。
    優れた翻訳者というものは、行間も翻訳するものだ。

    手話の翻訳者もなのだ。

    手話を「言語」として確立させる為にも、
    プロセスを読める翻訳が必要なのだ。

    なるほどなああ〜〜〜。

    手話を言語とは認めない…という考え方があるそうだ。
    私には不思議でならなかったが、
    コンテンツをコンテンツに置換えるだけの人からしたら、
    手話は単なるブロックサインにしか見えないからだろう。
    表情などは補助的な表現…くらいの受け取り方なのだろう。

    聴者は言語は音で発するから、音だけがコンテンツであることを区別しやすい。

    プロセスは無意識の細かなボディランゲージとなって現れている。

    多くの人は、音を聞きつつ、
    無意識にボディランゲージを見ている。または見なかった事にしている。

    しかし、コミュニケーションとは、正しくはこれら全てを含めたものだ。
    そして、手話は、十分にこれらを含んでいる。

    ただ、手話はコンテンツがボディランゲージだから、
    プロセスが見えづらくなる。
    ボディランゲージに集中する事と、
    ボディランゲージはろう者にとって全てコンテンツであるという思い込みが、
    ろう者のプロセスを見えなくしてしまう。


    コンテンツとプロセスを弁別出来る人なら、
    ろう者のプロセスもちゃんと見えるはずだ。


    聴者は無音で映画を見るといい。
    出来れば、舞台中継がいい。
    本当は生の舞台を無音で見ればベストかもしれないけど^^;

    舞台役者は、意図的に「プロセスを見せている」から分かり易い。

    「無音」で見るのが大切。

    そもそも音に頼っている人は、
    音があるからこそ「見ない」のだから、まず音を消す事。
    そして見えてくるものに集中すること。


    犬語と手話は似ている。
    誤解を恐れずに言えば同じだ。

    犬語もプロセスもコンテンツもボディランゲージだ。
    犬語を読もうとしてブロックサインのように読んでしまうと、
    犬の気持ちには近づけない。

    犬がコンテンツとして発しているものと、
    プロセスで思わず出ているものを弁別する必要がある。
    意図的に振る尻尾と思わず振る尻尾は違う。

    犬のボディランゲージを、
    ブロックサインのように、それぞれを単体でコンテンツとして全てを人間語の置換える…なんてことをしたら、おそらく犬の本当の思いとはかけ離れてしまうと思う。

    …もっとも、人同士でもそういう事はあるけれど。。。




    ちなみに、私はベビーサインは、古い脳を鍛えている期間に出て来るモノであるし、
    プロセスであると思う。
    だから、意図的にコンテンツとして親が教えるのには反対だ。
    古い脳を十分に発達させるべき時期に、
    新しい脳に移してはイケナイ。
    コンテンツはいずれ覚える。
    それよりも、プロセスを学ばない事が問題だ。

    お母さんが、赤ちゃんのプロセスを読むために活用するのは大賛成だ。



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    JUGEMテーマ:ポメラニアン

    トレーナーの言う事はすんなり聞くのに、なぜ飼主さんだと上手くイカナイのか。

    • 2013.11.19 Tuesday
    • 20:36
    評価:
    杉山 尚子,島宗理,佐藤方哉,リチャード・W. マロット,アリア・E・マロット
    産業図書
    ¥ 3,780
    (1998-03-30)

    トレーナーの言う事はすんなり聞くのに、なぜ飼主さんだと上手くイカナイのか。

    飼主さんの指示の出し方がダメだから。

    って良く言われるし、多分そうなんですよね。
    毅然と!とか言われて、
    そのうちに「なめられている」から…と、暴力的になって行ったり。

    または、お父さんが連れていると大丈夫なのに、
    お母さんが連れていると、吠えたり、不安がったり…とか。

    お母さんが弱いから守ってあげているんだ、とか、
    お母さんの指示が分かり難いからとか…

    そんな風にも言われる。


    お母さんを守っているとかが真実かどうかは置いておいて…

    確かに、連れている=リードを持っている人によって犬の様子が変わる事は多々あります。

    これ、ホント自信無くしちゃいますよね。

    で、そんな時に「アナタがそんなだから」系のフレーズ。
    ある意味「正解」なんです。

    ワタシの不安が犬も不安にさせている…としたら、
    ワタシの緊張が犬にも移っているとしたら…

    トレーニングに無頓着で、
    吠えっぱなしにさせていてもヘッチャラな人の方が、
    電車とか病院とか、公共の場所で、
    むしろ吠えさせないで過ごしていたりする皮肉な事があったりする。

    ヘッチャラだから、堂々としている。
    だから、犬も不安にもならないし、緊張もしない。

    じゃあ、吠えている犬の飼主さんが最初から緊張や不安があったのか?

    そういう人もあるかもしれない。

    でも、アタシなんかは無かったワケです。
    ヘッチャラ系のトレーニングに興味のない飼主だった。

    でも、レオがパニック的に吠える事で、
    その吠えをナントカしたいと思う事で、
    むしろ、緊張や不安が私の中にも生まれて来た。

    「レオを古典的条件付けで救ってあげたい」と思う一方で、
    私の方が、レオの発作的な吠えに古典的条件付けされてしまったような…。
    オロオロとするレスポンデント反応が出るようになってしまったのかもしれない。
    …そんな事に思い至りました。


    少し脱せんしますが、
    カエデさんと「境界線=パウンダリー」の事について話していました。
    境界線ということについての認識は違っていないと思うのですが、
    それが「親子関係」であった場合のイメージがちょっと違うのかな、
    と色々話していました。

    https://twitter.com/happa_no_kaede/status/402361215327809536

    「私の場合”境界線”と”心の港の入口”は別、っていうイメージです。飼い主(親)の境界線が子供(犬)に対してだけは開いているから安心なのではなく、境界線は保たれたままその人が港を用意してくれているから安心、という感じ。」


    これがカエデさんのイメージ。


    私のコトバで置換えると、
    スリングに入ってレオを抱いている感じ。
    当たらずとも遠からず…な感じかな。


    私は、親子に限っては、親の境界線の一部が切れている感じ。
    卵の殻に穴が開いていて、そこに子供の卵が納まっているような…


    カエデさんの描くイメージが「健康的な親子関係」な気もします。
    もしくは、カエデさんのイメージは、
    「親子」というよりも「教師と生徒」とか、「コーチと選手」というような気もします。


    私の「卵の殻に穴が開いていて、そこに子供の卵が納まっているような」イメージは、
    確かに理想的な健康的な関係は築き難い気がします。

    ただ、レオと暮らして私は徐々に卵の殻を自ら割って、レオを受入れようとして来た…そんなイメージがあります。

    そうする必要があった…というか。
    始めはもっとクールだったハズなんですよね。
    だから「レオママ」と呼ばれる事をイヤではないですが、自ら「レオママ」とは名乗らなかったのだと思います。

    でも、レオの発作的な吠えに自らも引きずられるような感覚…。
    「少しでも早く、良くなって欲しい」というのも母心ですね…と言って下さったのは、れあママさん。

    抗っていたはずなのに、そうなってしまった^^;


    少し前の記事にも書きましたが、
    レオに対してトレーナーであった方がレオは動き易いのだろうと思います。

    お母さんの言う事は聞かないけど、トレーナーの言う事は聞く…のパターン。
    これは何もなめられているとかではなく、
    お母さんの指示が分かり難いから、
    トレーナーのように分かり易い指示を出せば上手く行くはず…というもの。

    これは、これで正解なのですが、
    正解なのに、これを言われてもほとんどの飼主さんは上手く出来ない。
    なぜか?

    正解がこれではないからだ!
    …ということに、行動分析学で気付きました。


    この本の冒頭で、こたつに手を突っ込んで朝食を獲ってしまう弟。
    「食事の時は手を出しなさい」と注意される。

    ↑これ、この「食事の時は手を出しなさい」が、
    「トレーナーのように分かり易い指示を出しなさい」に該当するのです。

    この本を読んだ方なら分かりますよね。
    弟には手を出さない理由があるから出さないわけで、
    そこの問題が解決されると、手はこたつから出てきた。
    片手をこたつに入れていては、食べずらいから出せるものなら出したかったのでしょう。

    お母さんの犬に伝わり難い指示だってそうですよね。
    でも、こたつから手を出したような「何か」をしないと、
    いくら「アナタの言い方が…」とか言っても改善はされない。
    そういう言い方になる「理由」があって、
    言い方を変えるには、その「理由」の方をナントカしないとイケナイのだから。

    自信の無い人に「自信を持ちなさい」
    緊張している人に「リラックスしなさい」
    笑えない人に「笑顔で!」とか…

    全部無理!
    自信を持ったり、リラックスしたり、笑顔になるには、
    「●●にしなさい」と言われてなるもんじゃない。


    2×X=6

    とします。

    2が自信の無い人。
    6が自信のある状態、なんです。
    確かにこのかけ算の答、つまりイコールの隣は「6」だけど、
    この数式を解く「答」は「エックス」の部分ですよね。

    これが行動分析学なんだよね。

    今、簡単に自信の無い人全てにこうすれば良いとは、ケースによりますから言い難いですけど…

    例えば、笑顔になってもらいたかったら、
    「笑顔になって」なんて言っても多分無理で、
    思わず笑っちゃうような事を言って上げることでしょうね。
    笑顔になるが6だとしたら、
    「思わず笑っちゃような事」がエックス。


    つまり「アナタがそんなだから」系のフレーズは、
    行動分析学で「循環論」と言われるもので、
    グルグル回ってしまうだけで、一向に出口には向かえない、
    むしろ言われた人を追いつめるだけの「意味の無い答」なんですね。


    そうですね〜…
    だから「自分を変えなさい」は、有効なアドバイスにはならないですね。
    「6」に該当してしまい、循環論に陥ります。
    ガンバレ!という励ましのコトバとしてはアリかもしれないですが、
    もし、真剣にアドバイスをするのであれば、
    「エックス」を見つけてあげないとアドバイスにはならない。




    前の記事を書いた時に、
    「トレーナーやティーチャーよりコーチングのコーチはいかがでしょう?」
    というコメント頂いたんです。

    「そういう気持ち」を持つ事が、エックスになって6を導ける人もいると思います。
    多分、それってカエデさんのような境界線と港のイメージでいる人なのかな…


    私は、自分が「ティーチャー気質」(愛情の注ぎ方のパターンの1つ)で、
    その欠点の方が気になって、ティーチャー的な行動はなるべくしないように…って思っています。
    だって、そう思っていても十分説教好きですから^^;

    ティーチャーは上から引っ張り上げる人。
    ペアレンツは横に並んであげる人。
    ナースは下から押し上げる人。

    なのだと、私は思います。

    だからティーチャーは上から目線なんですよ。。。

    トレーナーもティーチャーにすごく近いですよね。
    コーチの方が目線はペアレンツに近い。
    でも、私がやったら、やっぱり鬼コーチになりそうだなあ…と^^;

    それで「セコンド」ってどうだろう?って考えました。
    空手の試合で、よくセコンドしました。

    この感じは悪くないなあ〜と思うので、またいずれ書いてみようと思いますが…



    そんな事を考えつつ…
    でも、どうもしっくりイカナイ。。。


    そんな時にカエデさんと境界線の事を話していて、
    私の卵の殻のイメージだと、
    コーチなども、ちょっとシックリいかないのかもしれない、と思いました。


    でも、私、この卵の殻のイメージ…悪くないな…って思っているんです。
    親が子供の事を我が事のようにオロオロしてしまう。
    内心、そういう思いを抱えた人が自分にいる…ということが、
    子供には、それはそれで必要なんだろうな「親だもの…」
    キレイに割り切れない冷静になれないドロドロとした卵の中身を曝してしまっても、
    それでも子供を抱えて守ろうとするのも、親なんだろうな…と。

    この時、子供の方の殻を破ってしまうのは、ダメなんです。
    それが「スポイル」のイメージ。



    犬を受入れる為に、他人には開かない境界線を開いている…
    その事で、トレーナー的に指示を出せないとしたら…
    ちょっと他の方法を考えてみようかな、と思いました。


    6に導く為のエックスは3とは限らないと思うのです。
    算数苦手ですがね…(1+2)でも良い筈だし。。。

    私なりのエックスを探してみようと思います。








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    JUGEMテーマ:わんこ

    「抱っこ」はレオにとっては大事な薬。

    • 2013.11.14 Thursday
    • 14:16
     【怖い!】他人には理解できない奇妙な恐怖症まとめ - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2136025356494258701

    恐怖症 とは - コトバンク http://kotobank.jp/word/%E6%81%90%E6%80%96%E7%97%87 
    @kotobankさんから

    不安障害(不安神経症/恐怖症) とは - コトバンク http://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E5%AE%89%
    E9%9A%9C%E5%AE%B3%EF%BC%88%E4%B8%8D
    %E5%AE%89%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%97%
    87%EF%BC%8F%E6%81%90%E6%80%96%E7%97
    %87%EF%BC%89 @kotobankさんから


    チャーリーママさんの「恐怖症」のカテゴリー
    http://charliemama.weblog.to/archives/cat_29875.html



    さて…レオの恐怖症ですが…

    このところ、レオとのヤリトリがとても上手くいっていて、
    私「じゃあ、そろそろ次のステップを…」って思ってしまったのです。

    次のステップを…と思う事自体は悪いことではないと思うのですが。
    「恐怖症」という事への取り組みが甘かったと反省しました。

    私の中で、レオの恐怖症を思う気持ちと同じくらい、

    「みんなが平気で歩ける場所を、レオはどうして歩けないのだろう…」
    そういう劣等感のような思いがあります。
    私のやり方がダメなのだろうか…どうしても、そういう思いが起きてしまいます。
    「アナタがそんなだから吠えるのよ」…これが、すぐに襲いかかってきます。
    このコトバだけが悪いのではないですよ。
    このコトバが決定打となるまでに色んな事がありました。
    NOを表明しつつスルーで回避していたのがお気に触ったのでしょうね。
    私が何も感じていないと思ったのか…
    とうとうこのコトバを出して来た…というワケです。。。

    辛うじて保っている自己肯定感を根底から覆すコトバとなっています。


    私がしっかりしなければなりません。

    「次のステップを…」で私が失敗したのは何だったのか?

    歩かせたい私は「抱っこしないで我慢」の時間を伸ばそうとしてしまったのです。

    恐怖反応でパニック的な行動(吠え)をしていない状態ならば、
    抱かずに慣れる事で良いと思います。
    でも、私は抱かないで「我慢」する時間を伸ばそうとしていたのです。

    人間のパニック発作などでも「我慢」は禁物です。
    私の感覚だと、出来る範囲の8割でも頑張り過ぎだと思います。
    6割で十分。1割でも褒めるに値する。
    昨日よりも今日…と考える必要もない。
    昨日出来たところまで、今日は出来ない事もある。

    …そういう気持ちで十分だと思っています。
    そのときに心の負担を軽くしてくれるのが「薬」でしょう。
    不要な恐怖反応を軽減する脳内物質が、
    自力で出せないから、投薬によって補給する。
    そして、出来れば6割くらいの感覚で日々を過ごす。
    昨日より今日が出来なくても、それはそれ。。。

    人だったら、そんな感じかなと思うのです。

    それなのに、私はレオを抱っこ無しで我慢させようとしてしまった。
    我慢…ということは、8割はとうに越えて、常に10割以上を目指すという事なワケで…。
    だから、それは当然、発作も起るワケです。

    レオの恐怖症を改善するには、
    恐怖反応が起っている「古典的条件付け」を、
    心地良い反応が起る…もしくは、何の反応も起きないように、
    条件付けし直す事だと考えています。

    それは、少しずつですが順調に行っていたのです。
    だから、コミュニケーションもスムーズで、
    抱っことコミュニケーションでパニック発作も起きないようになっていた。

    だから「次のステップ」は、
    それを続ける事、だったハズなのです。
    より強化する…というべきでしょうか。

    「我慢」ではなかった事だけは確かだと思います。

    でも、我慢させようとしていた時の私には、
    レオのパニック吠えさえ、パニックであることが見えなくなっていました。

    もう、それは克服した…または、声掛けで吠え止める筈なのに…と。

    そうなんです。
    上手くいっていた時は声掛けだけで発作的な吠えには繋がらず、
    テヘへと笑って戻ってくる事が出来るようになっていたのです。

    私は恐怖の対象を克服したのだ…と思ってしまったのです。
    その結論は、まだちょっと早かったのかもしれません。

    恐怖反応というのは、
    どのくらいこびりついているのか…
    これは本当に分からないですよね。
    無責任な周囲は「まだ良くならないの?」と言うかもしれない。
    そういうモノじゃないです。
    地獄の底を見てしまった事は忘れられない。
    それを、地獄の底を見たことの無い人が、
    「まだ治らないの?」とか、
    「考え過ぎ」とか「気のせいじゃないの?」
    という事程、無責任で追いつめるコトバはない。



    だから、抱っこをあまりしなくなって、急にレオが吠えるようになった時、
    声掛けだけでナントカしようとしたりしていました。
    私は「出来るハズなのに、なぜ?」という気持ちでした。

    それが、また余計にレオを不安と混乱に陥らせたようです。


    何がいけなかったのか…ちょっと考え込みました。

    私が「抱っこ」に劣等感を持っている事も自覚しました。
    「なぜ、あのコのように歩けないの?」って思ってしまっている事も自覚しました。
    これは、自覚しただけで、この辛さからは抜けていません。


    …でもね、今ゴミ収集の音に反応しないでいるレオがいます。
    夕方のチャイムにも吠えなくなっています。


    考えてやっと…「抱っこ」に辿り着きました。
    私にとっては「劣等感」かもしれないけれど、
    レオにとっては…

    レオにとっては「安全地帯」だったのですね。
    私自身、レオにとってそうなるように努力してきた事ではあるけれど、
    いつか卒業してもらいたいものでもあった。…それも少しでも早く。。。

    私が思う以上にレオにとっては大事は安全地帯で、
    抱っこがあるから恐怖反応を示さないで済む。
    だから、次を頑張れる。
    そういう大事な場所、オヤツの食べれない時もあるレオにとっての、
    大事なツールになっていたのですね。

    いつでも抱っこがあるからこそ、
    レオは6割で頑張れる。

    これは「投薬」に該当するのだと思います。
    実際にそうなるように条件付けしてきたのだから。
    私は、その事にもっと自信を持つべきでした。

    「次のステップ」は、私が抱っこを無意識に使うのではなく、
    「正確に使う」事だと思いました。

    勿論、必要の無い時には使わない。
    必要な時は躊躇わず使う。
    「抱っこ?」と聞いてから。
    抱きながら、下ろせる状態かどうか判断して、
    落ち着いたら下ろす。


    「我慢」をさせなくても、
    必要の無い時に使わない…を続けていけば、
    必要な時が減れば、抱っこは必然的に減って行く。

    恐怖症は、完治するかもしれないし、しないかもしれない。
    そういう気持ちで取り組んで行かないとイケナイ。

    抱っこが減らない事を嘆いてはイケナイ。
    辛いのは私ではなく、レオなのだから。。。


    そんな時に立ち直るキッカケをくれたのは、
    レオのお友達ワンコさんとママさんでした。

    王子様とスタスタ歩いたり、
    王子様ママにオヤツをねだったり、
    そういう事があると、怖かった事なんか無いという感じで、
    ニコニコとしている。

    そういう「自信」の積み重ねがとても大事だと実感しました。

    私の事情はなかなか散トレに通えなくなってしまって…

    でも、行ける方には是非おすすめします。
    犬は犬とのヤリトリによって確実な自信を貰うのだと思います。
    だから散トレには効果がある。

    散トレに参加できる方、オススメします。
    参加ワンコさん達は、散トレで知り合った犬友だちに会うのが楽しみなようです。

    でも、無理矢理挨拶させたりは、しないんですよ^^


    http://charlie.doorblog.jp/
    http://charliemama.weblog.to/
    http://www.charliemama.jp/cont5/12.html

    ↑チャーリーママさんのブログ等。





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