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評価:
奥田 健次
集英社
¥ 799
(2012-11-16)
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評価:
青木 愛弓
誠文堂新光社
¥ 1,728
(2008-10)
コメント:インコだけじゃなく、というか、むしろ犬のトレーニングに良いらしいよ。。。
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レオ様……爆睡中。。。
何? いえ…歯が出てたんで^^;
zzzzz……
レオの為に行動分析学の事を知ろうとして、
古典的条件付けって何か…とか少しづつ分かってきて…
あれ? それって自分だったら…? みたいな事を考えていたら…
レオの吠えも、レオが怖いと思うモノに古典的条件付けされてしまって、
「怖い」と思ったらすぐスイッチが入ってしまうようなものなのかな。
そのレオのスイッチが入る前に自分に出来る事は何かないのか?
みたいな対応をしていたのですね。
その頃は犬はむしろスタンダードのブルドッグでも
ピットブルでも挨拶してましたよ。
私が変な先入観でビビらなければ大丈夫!みたいな根拠の無い自信^^;
レオが苦手にしていたのはバイク、車、雨の日の人、猫、鳩…など。。。
とても興奮して吠えるので、興奮し易い犬なんだとも思ってましたね。
後で、むしろ何も無ければはしゃだりしないテンションがとても低いタイプだと思うようになりましたが。
最初は、
怖いと思うモノに近づかないように、とか、
怖いと思うモノを避ける、とか、 そういう事をしていて。。。
レオの怖いモノが何なのか?
一生懸命に追いかけていた。
レオより先に見つけて「早目早目に対応出来るように」と。
そうしたら、レオが吠える前に「こりゃダメだろう!」みたいに分かるようになった。
そして案の定吠える。
「やっぱり吠えた」「ダメなんだ」「これも避けなきゃ」みたいな。
ところが、その「苦手」はどんどん増えて行く。
全く大丈夫なお友達に囲まれながら、
犬が通りかかる「レオちゃん大丈夫?」
知らない犬だが、黒い? 和犬? 大きい?
なんて私が思っているウチに吠える。
2〜3歳までは「レオちゃんはどんな犬でも大丈夫でいいわね〜」って言われていたんだけど…。
いつなにがどうしてこうなったのか?
私自身も混乱していた。
……最初は「突進」を止めさせようと思ったのだった。
レオは犬を見るとダッシュする。
駆け寄って匂いを嗅ぐ。
私もそれを口実に相手の犬に近づけるし…みたいな気持ちだった。
でも、犬語を少しづつ知っていくと、
相手の犬が嫌がっている事に気付いた。
レオは自分から距離を縮める側だから怖くないのだ。
むしろ、嗅げなくて情報が得られない方が怖いのだ。
でも、犬のマナーとしては突進は相手の犬を威嚇する。
それを知らなかった頃は突進して臭いを嗅がせてガウっていわれて、
「ウチは大丈夫ですから気にしないで下さい」なんて言ってた。
とんでもない、レオが突進して自分勝手に臭いを嗅いでいたのだ。
痴漢しておいて、怒って殴って来た女子高生に「痛くないから気にしないで」って言ってるみたいだorz
犬のマナーとしては、ある程度近づいたら一回立ち止まったり、
地面の臭いを嗅いだり、カーブを描いて迂回したり、目線を逸らしながら近づいたり、
すぐ近くへ来たらちょっと会釈してみたり……そんな色々な動作がある。
これって人間も同じだね。
相手との関係性や、その個体の好みや伝えたい事で動きは変わるのだろうけれど。
とにかく、真っすぐ相手に向かわない、というのが犬マナーだ。
でも、飼主さんが犬同士挨拶させたいって思っていると、
犬のリードを引きずってでも真っすぐ「ホラお友達よ」なんてやるから困る。
突進する犬を「犬が好きな犬なんです」とダッシュで近づける人もいる。
…私もそうだったのだ。
そういう犬マナーを知って、
レオを興奮させない(突進って大興奮でダッシュするので)という事と、
犬に優しい犬になって欲しいな〜という気持ちと…
それで、犬に突進させないようにし始めたのだ。
すると、相手の情報を得手勝手に得られなくなりレオは不安になったんだね。
犬を見ると…私の想像だが、
「匂い嗅がせろ〜」とか
「オレ様の前を通る時は挨拶していけ!」って吠えるようになったのかな…と。
どんな犬でも大丈夫なレオちゃん…でなくなってもいた。
突進を止めただけが理由ではなく、オス犬として成熟したからでもあると思う。
3歳までは自分がどんどん成長して追い越すばかりだったけれど、
3歳を過ぎたら、若いオス犬に追い越されるケースも出てきた。
未去勢のオス同士なのだから仕方がない。
どちらが悪いのでもない。
というわけで、
本当に苦手な犬と、確認出来ない不安で苦手な犬が増えていった。
この時の事を、少し前に気付いたのだが、私の中でも変化があったのだ。
レオの吠えにアタフタと対応していくうちに、
私自身がレオの吠えに古典的条件付けをされてしまったのだ。
レオが吠えると、焦ったり緊張したり…
レオの吠えによって、私が不安な気持ちになる…そんな感じ。
誰も私に「吠えさせてはイケナイ」なんて言っていない筈なのに、
私自身が吠えて欲しくない、そんな気持ちになっていたのだ。
レオの吠えで私が不穏な気持ちになってしまう。
そんな古典的条件付けが成立してしまったようだ。
レオが吠えないように、吠えの先行子となる刺激をレオよりも先に見つけようとする、
すると、私のその「気持ち」…行動なのか臭いなのか気配なのか…とにかくレオには分かる…によって、元々のレオの吠えの原因であった「他犬」や「バイク」よりも、
私の行動の方がレオにとって「吠え」の先行子となってしまった感じ。
私は焦ったり変な汗をかいたり^^;
鶏が先か、卵が先か…という感じ。
仕方ないよね。
私自身が応用行動分析学の専門家や、優れた犬のトレーナーか、スキナー箱みたいに淡々とするべき事を出来れば良いだろうけど、
そういうワケにはいかないから互いが刺激し合って複雑な連鎖が生まれていく。
思いがけない反応が起ってしまう。。。
ああ…そんな事もあるんだ、と気付いたのは行動分析学の本のどこかを読んでいてだったのだけど…今探したけれど見つからない^^;
私の変な汗がレオの吠えのキッカケとなってしまっているとしたら、
私が変な汗をかかなければいい…のだけれど、
レオが吠えをナントカして止めなければと思うから変な汗が出るのであって…と、言う感じ。
(↑これ…○○論ですよ^^)
レオの吠えだけでもグルグルと輪を描くような無限の永久機関のように思えてきているのに、
そこに自分自身の気持ちの揺れが加わると…
まるで互いの堂々巡りが重なって8の字を描いたメビウスの輪のようだ。。。
こんな事になるなら、いっそのことトレーニングなんかしない方が良かったのか?
という言葉が頭を過る事がある。
レオは吠えたかもしれないが、少なくとも私は吠えの特別な条件付けはされていなかったハズだ。
だからもっと暢気でいた筈なのだが…。
その方が変な汗をかかないからむしろ良かったのではないか!? みたいな。
いや、それは違う。
そもそもなぜトレーニングを始めたのだ?
バイクに吠えずにはおれない苦しさから救う為ではなかったのか?
トレーニングしないということは、
前へは進まないということだ。
ともすれば、それは後退する事に等しい。
…というか、年齢とともに後退するだろう。
「叱らない」という軸が確固としてあったから、
悪い連鎖の中にあってもがいていても、
レオとの暮らしや散歩自体は楽しかった。
確かにどうしたら良いのかな?
と始終考えているのだが、それもまた実は楽しいのだ。
でも、そんな時も「アナタがそんなだからレオが吠えるのよ」という声が聞こえる。
確かに、現実問題として「私」がナントカなれば、レオの行動は変わる。
文言としては正しいのだ。
しかし、この連鎖の中で「飼主さんがそんなだから」「飼主さんが変われば犬も変わる」は正しいようで実は正しくない。
私が追い込まれたように、百害あって一利無しだ。
なぜなら…今なら科学的に分かる……
これは「循環論」なのだ。
犬が吠える。
飼主さんの行動がイケナイから。
だから飼主さんの行動を変えればいい。
……一見正しいようで、どうやって変えれば良いのかはサッパリ分からない。
だから「飼主さんがそんなだから」は意味が無い。
愛があれば…
犬を思う気持ちさえあれば…もダメだ。
気合いと根性で乗り越えろ!…的な所謂、根性論だ。
闇雲に力任せに踏ん張れば良いというものではない。
もがきながら、
どこかでこの悪い連鎖を止める楔を打ちたい…それはほんの小さなキッカケで可能だ…
そんな事が頭のどこかにあったような気がする。
楔となる小さなキッカケとは、「成功体験」だ。
とにかく、この当時は巨大なジグソーパズルの小さなピースを拾い集めるような感じだったが、
とにかく色々やっていたから、びっくりする程連鎖して吠える事もあるが、
全く逆にどうして?という程吠えない時もあった。
そういう事を繰り返しているうちに、
「やはり私だ」と。
正確には「私のリード使い」だと思った。
雨の日に吠え易く、それは雨のせいだと思っていた。
ところが、ある日、いつもは雨の日用に最初に買った少し小さめのハーネスで散歩に行っていたのだが、何かの思いつきだったか、洗濯でもしていたのか…
昼間使っているハーネスで出掛けた。
すると、いつもの雨の日なら吠えてしまう傘をさした黒っぽい人影に反応しない。
ハーネスがキツい為に僅かなリードの張りが伝わるのか?…と仮説を立てた。
雨でない日にキツい方のハーネスを使ってみたりすると…やはりそんな感じがする。
私の方はリード使いを慎重にすることと、
タンタンマーク♪を確実に使う事にした。
タンタンマーク♪はレオにとって既に確実な好子になっていた。
リードが張るとタンタン♪ 等はしていたので、
僅かなりリードの張りも見逃さないように…タンタン♪
更に「吠えていない」という「状態」の「強化」の為に何でもないかのような時もタンタン♪
実はこれがレオが苦手なモノが近づいて来る時に効果があった。
レオが静かに匂い嗅ぎをしている。
苦手なモノが近づくが、私はリードを握り直したりしない、
ただタンタン♪と。
最初はドキドキした。
何しろリードに緩みがあるのだから可動域が広い。。。
ところが…だ、レオは自分の意思で臭いを嗅ぎ続ける。
最初は偶然か、夢中で気付かないのか?と思った。
だが、何度もそういう事があって確信に変わった。
意図的に嗅いでいる!
その証拠に「自称犬好き」な人が私のすぐ後に立ってレオを見つめている時がある。
私が、その人を3秒以内に追い払わないと…レオはワワワワワン!と言うことになる。
「リードを緩めれば上手くいく」
これは知っていた事だし、大旨は緩んでいて、緩んでいる時は上手くいっていた。
しかし、最も危険な場面で緩めるというのは度胸がいる。
失敗の経験だけは一杯あるし…
でも、最初は見逃していたと思われる「リードが緩んでいたから吠えなかった」という「成功体験」を自分で意識して「今出来たぞ」と心に留められるようになって、
その小さな一瞬の成功は自分の自信になっていった。
出来る時と出来ない時がある。
出来ない時も、出来た時の自信を手放してはならない。
遠慮がちな人は手放してしまう。
私は図々しく持ち続けた。
自分で自分に自信を与えないと、
たとえ人から褒めてもらえてもお世辞だ…とせっかくの肯定を否定してしまう事だってある。
だから、自分で拾った小さな自信を簡単に手放してはならない。
この「小さな自信」こそが、
悪い連鎖のメビウスの輪に打った「楔」だったのだ。
そうするウチに、
「レオ君が笑っているよ」とお友達に言われる事が多くなり…
写真まで撮ってみせてくれた。
この「肯定」は私に大きな自信をくれた。
「大丈夫よ」という言葉がちゃんと本来の意味を持って私に届くようになった。
堂々巡りの連鎖には、犬のトレーニングに限らず、
どんな事柄でも陥る危険がある。
一生懸命やっていればいるほど、それは深く陥るのかもしれない。
でも、もがきながらもやっている「何か」は絶対いずれ繋がる。
全く意味が無いように思える事が、
土台になって安定感を添えていたりする。
無駄な頑張りはない。
連鎖に陥り易いのは多分、遠慮がちな自己評価低めの人かもしれない^^;
↑ああ、これはラベリングだけど。
…というワケで、
かきたかったのは、
行動分析学で愛犬に心地良いレスポンデント条件付けをしてあげたいと、
頑張っている飼主の方がいつの間にか、
犬の吠えや咬みに不安なレスポンデント条件付けされたり、
その状況から抜け出そうともがいてみたものの、
待っていたのは「循環論」に追いつめられる…という本末転倒なお話……でした^^;